オルタナティブ・ブログ > THE SHOW MUST GO ON >

通信業界特殊偵察部隊のモノゴトの見方、見え方、考え方

世代論を裏打ちするものと、世代論を超えるもの、そしてそれぞれの視点

»

なんだかんだ言われながらも根強く存在する世代論。実際のところ自分の親の世代の影響は大きいし、たとえば自分がどういう時代に思春期を送ったのかを含めてどういう時代に生きてきたのかってので価値観を含めた色んなモノが形成されるのは間違いないわけです。それをある程度クラスターに分けたときに付くラベルが「世代」のお話。

因みに自分の属する年代に付けられた「xx世代」というラベルが気に入るかどうか、好きかどうかは自分とは関係ない話。でも、まぁ、なんとなくそうだよねと思う部分が無いといえば嘘になる。でも、そんな画一的なものじゃないよとは思いつつ・・・

 

私の場合にはジェネレーションXというクラスター、しらけ世代、あるいは新人類

自分の記憶をたどり、また諸々調べてみると丁度そういう時期に分類されているようです。就職と軒には確かに「新人類」と呼ばれたあたりの世代。戦後生まれの団塊の世代の後姿を見てきた、それでも自分の親は戦前から戦中に生まれた世代。中には自分の親が出征した経験がある人もいなくは無いですが、基本的にはギリギリ学徒出陣に引っかかる場合があるかどうかくらいなんじゃないかと思います。

因みに人口比率を政府が平成22年の4月に発表した資料で眺めてみると団塊の世代の6割くらいなんでしょうか。因みにその下にいわゆる団塊ジュニア(ジェネレーションY)の塊があって、その後はダラダラと減少。冷静に考えるとその下の部分のだら下がりは団塊のあとの自分の世代の責任かという話もあるやなしや、と言う状況なのですが、もちろん社会情勢やら何やらはそんなに単純な話じゃないのは皆さんそれぞれ御意見があるところ。

因みに物心ついたころはアメリカとソビエトの真正面から冷戦頃で、アジア諸国やアフリカなどのあちらこちらで独立にからんだ紛争がヤマのようにあり、中東は六日で終わっちゃうくらい劇的な戦争状態すらあったし、小さいときには初詣にいった大きな神社の参道に傷痍軍人を見かけることも多く、戦争映画を見れば普通に実戦を闘った実物の兵器(もちろん実弾は使いませんが)や実写の映像が使われてたり、でも日本は気が付いたら高度成長で一億総中流で、ニューファミリーが手を取り合って週末には買い物に出かけ、隣の車より自分の車の方が大きく見えて嬉しいとか、陥落したサイゴンから逃げ出したヘリコプターが空母に下りたけれど再び飛ぶ時間すら無いから海にガンガン捨ててたとか、ウッドストックでジミ・ヘンドリックスが髪を振り乱して何を弾いてたのかは子供には全く理解できなかったんだよとか、奥様は魔女にでてきた冷蔵庫とクルマの巨大さはやっぱりアメリカの冨の象徴だったよねとか、ゲバ棒振り回して機動隊と闘ってるニュースの後にゲバゲバ90分だったよねとか・・・ そんな記憶な幼少時代が私のコンテクストの重要な一部だったりします。

結構だれにでも上の世代から「あんたたちねぇ」と言われた時代があるわけで

私自身は、あの時は何もなくなっちゃったところからみんな這い上がったんだよみたいな事を偉そうに言える世代ではありません。別にその頃が良かったのかどうかも良くわかりません。そもそも既に「もはや戦後ではない」と時の首相が宣言した後で生まれた世代ですから。

ただ、その後、少なくとも大学の頃から就職た後の今に至る流れは自分の経験として色々と見てるのは事実。そこでよかったこと、悪かった事それぞれに対して自分の意見は持っているのも事実。そして、過去に自分自身(自分達とは言いません)が例えば自分の親の世代、あるいは団塊の世代がやってきた事をどこかで否定する事から始めていた部分が無いとは言い切れない。いや、むしろそうしてたんですね。ただし、その行動がどちらかと言うと先鋭的になるよりも密かに自分達が変わろうとか自分達でそのうち変えてやろうみたいな動きをしたのが、ひょっとしたらいわゆる新人類だったりジェネレーションXと呼ばれる世代なんじゃないかなと、(総括するにはまだ早いですが)少し思い始めたりしています。

 

なんとなく別の形で同じ道を通っている感

誰かを疎んじるのもひとつ、誰かに傾倒するのもひとつ。
ただし忘れないほうが良いのはバランス感覚で、自分達の事を判ってくれない人を排除しようとすると結局なんだかな状態になることが色々あるよね、あるいはあったよねって事だけはおもってしまいます。それを思うのがそれなりにトシを喰った証拠なのかもしれませんが、たとえば過去の否定から新しい形を創造してるんだといってることの殆どが実は昔の誰かの行動の焼き直しだったりすることもあったりするわけです。

もちろんアレンジの方法は時代なりに変わるでしょうけれど、行動原理そのものは。
そう。結局時代は回転ドアであっちとこっちをいったり来たりするわけで。もちろんシニカルすぎる視点は問題ですが、経緯を踏まえてモノゴトを考えるのはそれなりにトシの行った人間の役割だとは思っています。

社会とのつながり方を変えようって系のソーシャルな何かの話とか。
働く形を変えようって系のノマドな何かの話とか。

Comment(0)