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通信業界特殊偵察部隊のモノゴトの見方、見え方、考え方

自分の持っているモノサシと、それがどうやって作られてきたのかという話

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人間誰しも時代の流れの中でモノゴトの判断基準は変わります。自分の今の尺度でモノゴトを判断します。これは仕方無い事だし、極普通の事だとは思います。ただそれらはあくまで今に至るまで色々と学んだ事や知った事、取り巻く環境、おかれた立場などによって変わるわけですし、そこには絶対的な軸が厳然と存在することと言うのは実はあまり多くはないと思っています。もちろん一概にそういえるわけではないのは百も承知。でも同じ人が同じ事象を別の立場から見ると全然別の判断がなされることが例外かというとそんな事は無いと思います。実にややこしい話ではありますが。

 

昔の自分は一体何を考えていたのかを振り返ってみると気が付くことは少なくはない

常々コンテクストが大事だよといい続けている私ですが、逆に言うと経緯を理解すると、あるいはその蓄積度合いによって意見も見方も変わるのは避ける事はできないという事だとも理解できると想っています。常々そう思っているので心情的に許容できるかどうかは別にして意見の多様性という状況自体は理解できます。自分にとって白いものは他の人にとって黒いのは当たり前。

でもって、今の自分の判断やものの見方は例えば10年前の自分とは当然違うわけですし、違って当然だし、違わないのは自分として嫌です。もちろん変わらない種類のモノもありますが、基本的には変わるもの。

で、なんでこんな話をし始めたかと言うと、田中さんの今の自分と比較したらかわいそうなのかも。というエントリーを見て諸々思うところが会っての話。いや、全くそうだと思います。そもそも今の自分の評価軸で新入社員の頃の自分を評価すると普通に「顔を洗って出直して来い」と切り捨てるであろいうくらいのどうしようもないアホな若造でした。これは間違いない。口だけは達者だったのですが、あるところから言い訳ばかりして何も実績が伴わない。(←これは今でもそうかもしれませんが・・・(滝汗)

もちろんその後の紆余曲折やら何やらを経て今があるわけで、それなりにそれなりな立場でモノゴトを考えるようにはなりましたが、その頃に自分はどうしたかったのか、何をしたかったのかなんて話は、まぁ絵空事を並べるか沈黙するかのどちらか。勿論それなりに夢はありましたし、考える事は一杯あったけれど。ただし、それらを今のアタマで否定してもしかたなくて、そもそも何も世の中の事をわかっていないアホな若造が自分の夢の世界で勝手に遊んでいるだけって言われても仕方ない。結果的にその頃考えていた夢の幾つが今の時点で形になってるのか、どんな風に変遷してきたかってのは自分自身で評価するしかないのですが、とりあえずある一定の期間を振り返る事が出来るくらいの年齢は重ねてきたのは事実。変わらないのは不甲斐無さくらいでしょうか。

 

自分のモノの見方は自分の経験の積み重ね

自分のモノの見方は自分の積み重ねの結果。それを踏まえつつ常に自戒するのは、他の方の意見について否定から入るのではなく、まずは自分と違う意見やものの見方の存在は認めたうえで自分ならどう考えるかという順番でモノゴトを考えるようにしている事。そこだけを崩さなければ目の前でどんな話がされようが対応はできるんじゃないかと思っています。それが生産的な行動なのかどうなのかは良くわかりませんが。

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