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通信業界特殊偵察部隊のモノゴトの見方、見え方、考え方

小学館の「小学三年生」と「小学四年生」が3月号で休刊となってたんですね

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私自身は確か読んでました。小学館の学習雑誌。はるか昔の事なので記憶が定かじゃないですが、少なくとも「小学三年生」くらいまでは読んでいて、その後は学研の「科学と学習」に移ったような記憶があります。思い起こせば1970年代半ば。子供が定期的に何かしら情報を得る場としての紙媒体、特に子供向けの雑誌がまだ非常に強かった時代の話です。

ちなみにそれを単純に紙媒体の凋落みたいなところには結びつけたくないのですが、個々の雑誌単体での発行部数を考えると確かにある時点から減少していたし、選択肢も多様化したのは事実。結果的に老舗としての小学館の学習雑誌も今や「小学一年生」と「小学二年生」の二つ。色々と考えるところはあります。

 

よくよく考えると、自分の子供がこれらの雑誌を手に取る事が殆どなかったかもしれない

これはもちろんそれぞれの家庭の事情やら主義主張やらが絡みますから一概にどうだという話じゃないとは思いますが、我が家の小学生の2人の子供がこれらの雑誌を買って欲しい欲しいといった記憶は無いし、書店などで眺めていた記憶もありません。これは自分が気が付かなかっただけなのかもしれませんが、でもやっぱり記憶が無い。

その背景としては当然ですがこれらの雑誌以外に情報を得る手段が自分の子供時代に較べてあまりに多く、たとえば自分が今の時代に子供として生きていればあまり目に留まらないのかもしれません。もちろんその裏側で時代に会わなくなったものが消えてゆくのは世の常、という刹那的な感想をもって休刊を見守るという姿勢を持つというのを否定するものではありませんが、何かしら1つの流れを象徴しているような気はします。

 

時間の使い方の変化を紙からネットへの変化と曲解しちゃいけないんじゃないか

じゃぁ雑誌が駄目だからどこに行ったのかとか言う話になったときに、実は代替手段自体が他にもあるからだよってのはよく言われる話ですが、問題はそこで提供されてきた情報自体が既に時代に合わないという話もあるような気はします。

もちろんテレビが提供するものの比率は大きいし、家庭用ゲーム機なり携帯ゲーム機の世界を含めいろんなものが多くの時間を奪いますし、たとえば日々の勉強のための時間の使い方、これはそれこそ塾通いの話もそうですし、いわゆる受験の話も含めて色々と変わった結果だとは思って居ます。もちろんたとえ紙媒体であっても、伝統的な学習雑誌が提供できていなかった事をカバーできるものというのは当然ヤマのようにあるわけで、既に伝統的な学習雑誌自体がそれらの核になれない状況というのはずっと前からあったわけです。逆に言うと、自分自身がどこかで学習雑誌から離れて行ったのも、自分の中でそういう思いがあったのは何となく覚えているんですが、そこから離れたときの選択肢といったら、まぁ私の子供の頃の比じゃないのは事実。

 

他人事ではなく自分の子供の事、そしてその親として何を考えるか

そう。単純に紙はやっぱり駄目だとか、ネットに置き換わったとかそんな話じゃないはず。逆に言うと、小学校の時点で既にネットへの依存度が高いなんて話があるとするとそれは流石に如何なものかとは思うのですが、それとて各家庭の事情状況がある話ですから自分の家庭の状況を踏まえて世の中を理解したつもりになってはいけない話。

ってことで、いま小学生を取り巻く環境ってどういうことなのか、そこで何が起きてるのか、そしてこれからどうなってゆくのかってのを、丁度これらの学習雑誌の読者である小学生の自分の息子と娘を眺めながら色々と考える事が多い今日この頃です。

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