フレディ・マーキュリー生誕65周年と自分のブログのタイトルの間にあるキモチ
よくよく記憶を辿ると、最初にQUEENというバンドを知ったのは小学校6年か中学1年の頃。実は当時の私は小学生の分際でFMで洋楽ばかり聴いていたマセた嫌なガキだったんですが、たしか1975年前後、アルバム的に言うと三枚目のSheer Heart Attackに触れたのはやっぱりFMの洋楽番組。英語など全く解するわけもない田舎の小学生だったわけですが、何故だか聴いてました。そして間もなく例の有名な「ボヘミアンラプソディー」が収録された「A Night at the Opera(邦題:オペラ座の夜)」が発表になって多くの人の口にQUEENの名前が乗る事になったんですが、そんな時ですら「今頃から騒いでどうするんだよ」と嘯く本当に嫌なガキでした(笑)
そしてフレディ・マーキュリーの名前も同時に当時から覚えていたんですね。
生誕65周年、そして没後20年
Googleのロゴがフレディ・マーキュリーの関連絵柄になっていて気が付いたのが、9月5日が実は彼の誕生日であった事。そして1991年に45歳で亡くなっているので、今年で没後20年。いや、もうそんなになるのかな、と思う自分はやっぱり歳を取ったんでしょうね(笑)
もちろんQUEENだけじゃなく色んな思い出が詰まった楽曲というのはジャンルを問わずあるんですが、お小遣いをためて買い込んだミュージックテープ(笑)を擦り切れるまで聴いていた時代の頃ってのはやっぱりそれなりに懐かしいもんです。その後LPを買い込み、CDを買いと同じアルバムを複数のメディアで持っていたりしますが、雑誌の訳詩を入り口に、そのうち何となく英語が判るようになってきて歌詞が理解できるようになってきて、更にそれと並行して雑誌の記事やら何やらを通じてアルバムの裏側の話も見えてくるようになって、更にはそれらの楽曲が作られた背景を色々とみるにつけ、自分が同じ時代に何を考えていたのか、何をどう見ていたのかを跡付けで検証しつつ、今の目の前の事をどう理解するかを考えるような癖が付いてきたような気がします。
もちろん音楽を愉しむためのひとつの方法として、自分が共有しているような気になれる部分っていうのがあると、とても近く感じるのは事実だと思います。あとはそれをどこまで拡張するかってのがそれぞれ違うところだと思うのですが、私の場合には、それが何となく社会全体がどうなのよ?見たいな所まで広げて考える事が多かったような気がします。だからこそ、たとえば洋楽を中心に聴いていましたが、日本の色んな楽曲も自分の上の世代が何を考えてそんな曲を作ったのか、自分と同世代はどうなんだろう、そして自分の下の世代は?見たいな所まで考えて愉しむという・・・ これはいまだに続いていますが、なんともはや理屈っぽいオトコに育ったものです(笑)
ほんでもってのブログのタイトルにしているTHE SHOW MUST GO ON
もちろんQUEENにこの曲があるのは当然ですが知ってました。そもそもQUEENのこのタイトルの曲が収録されていたInnuendoがリリースされたのは1991年。フレディ・マーキュリー存命中の最後のアルバムの最後の曲です。ただ、実は同じタイトルのThree Dog Nightの1974年の曲をずっと昔から知ってて、当然ですがそれと同時にその言葉としての意味ってのが頭に残ってたというのがもともとこのフレーズとの絡みだったりします。このあたりの話は実は2007年にTHE SHOW MUST GO ON のココロというエントリーで自分でも書いているので改めて「だからどうよ」とは言いませんが、とりあえず多分に自戒を込めてつけたタイトルだというのは事実。
改めてこんな事を書くと「そろそろ燃え尽きつつあるのか?」とか「ネタが無くて辛いけどやってるのか?」とか言う話になるのかもしれませんが、実はそんな事は全然なくて、実はもっと前向き。なにしろ、世の中、止めようと思っても止められないモノは一杯あるわけで、そこには色んな経緯が巻きついていて、でもそれを知ってどうするって話がありつつも知ってゆくことよって見えてくる別のモノが楽しくて、見たいな方向だったりします。
ってことで、物事を掘り下げて、裏を探って、それを自分なりに理解して解釈して、そして他の方の意見を伺いつつ更に掘り下げて・・・ 終わりの無い知識欲ってのがあれば楽しいことは無いなと思いつつ、シニカルになり過ぎないように自分の周囲を眺めつつ、客観視ってどういうことなんだろうと考えつつ社会を眺めてゆくってのは悪いことじゃ無よねと思う夏の終わりです。