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通信業界特殊偵察部隊のモノゴトの見方、見え方、考え方

私だって「今の若い人ってさぁ・・・」と言いたくなる瞬間が無いわけではない、ということを踏まえて

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流石に既に「若い人」と呼ばれることは殆どなくなりました。行き付けの飲み屋で人生の大先輩たる馴染みのお爺ちゃんとかに言われる事はありますが、それはその場の比較論。一般的には既に「若い人クラスター」には属していないという自覚は、当然ですが、あります。

ただ、微妙に宙ぶらりんなところがあるのが心の中のわずかな抵抗なのですけどね(笑

 

自分より若い人が自分より頼りなく見えるのは当たり前なんだから

「俺の若いときはさ、色々とバリバリやっててさ、たとえばさ・・・」なんて話は、それこそかつて飲み屋で先輩諸氏に死ぬほど聞かされた話です。ただ気が付くと、自分がそんな事を言い始めていたりするのに気が付きます。

確かに、頼りなく見えるんだから。

それは一般論として事実です。でもそれは当たり前。だって自分たちは色々やってきて、色々なものを見てきて、色々なものを感じてきて、そして今があるわけです。それに較べて所謂人生経験の少ない若い人の考え方や行動が時に頼りなく、時に短絡的で、時に無謀に見えるのは当たり前。感心しっ放しなんて状況ではむしろ良くないと思うんですね。

よってもって、小言爺の誕生です(笑)

でも、よくよく考えると、自分が彼らの年代の頃、たとえば20代の頃の50前後の人なんて、なんだか色々と文句ばかり言ってて、もちろんありがたい助言もあるけれど心情的には納得できずに憤慨し続けていたり。正直な話、それこそ「どっかに行っちゃえばいいのに!このクソジジイが!」なんて事を一切考えたい事が無いような聖人君子ではありません。ハイ。

 

常に「旧い世代」は間違っていて「次の世代」が正しくないと、そもそも世の中としておかしい論

でも、今やきっと立場が逆転しているわけです。自分では受け入れがたい部分もありますが。で、そんな中で「前の世代とは違うんだよ、きっと。こんな風にしてゆかなくちゃいけないんだよ」みたいなところをどこかでみんな考えていたはずなんですよね。意識するかしないかは別にして。

因みに、世代的に団塊の下に当たる、かつて「新人類」と呼ばれた世代の私ですが、当然団塊の連中って何だよとか思った時代はあったんですよね。これでも。で、どこかしら上の世代の動きを見てたわけです。この目線ってのはどの年代にもあるとは思うんですけど。

で、そんな目線を常にどの世代も持っていて、前の世代の価値観を何となく上書きしながら世代が交代してゆくわけです。変わった世代はその前と違う価値観やら何やらをもった人たち。でもそれも更に次の世代に上書きされつつ世代を重ねて変化してゆくという流れ。

時間と共に「旧い世代」は「次の世代」に上書きされてゆくというコトを止める事は誰にも出来ないわけです。で、自分はどっちなの?ってのはとても微妙な話ではあるし、そもそもそれを例えば私が考え方として受け入れているかどうかは別の話ですが(笑)

 

ってことで、結局のところ、常に「大人」は間違っていて「若い人」が正しくないとそもそも世の中としておかしい論ってのが成立して、それは誰が否定しようが、そういうことだよねっていう気がするんです。

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