アフガニスタンへの関与に関するオバマ大統領の演説におけるTwitterの役割と、パブリシティ、あるいはPRというモノにおけるTwitterの立ち位置と理解
アメリカの現地日時での12月1日、ホワイトハウスでオバマ大統領のアフガニスタン情勢に対する関与の方針に関する演説があり、Twitterでその内容が逐一流れるという状況がありました。このエントリーではその内容の政治的な意味合いや、日本政府の対応など含めた部分についてではなく、そのTLを眺めつつふと思ったTwitterの使い道についての事を幾つか。
パブリシティと言うものに対するホワイトハウスとしてのアプローチの一つの形
アメリカ合衆国の国家としての最高責任者である大統領の演説ですから、そのメッセージに対する影響度合いというのは民間企業の何らかのアナウンスよりも強烈に強いわけです。それを大統領自らが話し、それを報道機関が事実関係に各社の立ち位置としての分析を加えるという形で報道されることにより間接的に触れたり、あるいはテレビ中継によって直接触れたりすることが出来るわけですが、たまたまホワイトハウスのアカウントをフォローしていたお陰で、今回の演説はTwitterで直接その内容が流されるという状況に触れることが出来ました。
それを企業のPR活動にそのまま投影するのは理解の飛躍が必要なのかもしれませんが
何らかの記者発表会において、PR部門の担当者が進行を逐一つぶやく形というのが一部で見られるようになりました。また幾つかのキャラクターが同時につぶやく形で全体を盛り上げようという意識の中で進行するものも見られるようになりました。
それに対して今回のホワイトハウスのアプローチは、原稿を基本的にそのまま流すという形を取っています。いわば演説のテレビ放送の字幕をそのままTwitterに乗せてしまうというアプローチ。もちろん一字一句という話ではないですが、要点はそのまま文字になって流れてきます。そして、それらはReTweetやら何やらでネットワークの中を流通し始める。
誰かが起こした文字ではなく、いわば公式な文字列として流通させるためのソースを提供するという意味で、民間企業では余り見られない・・・というか、少なくとも私自身は余り触れたことが無い形でのTwitterの利用方法だと思った次第です。
しかし、それは単なる私の不勉強で、実はそういう風に利用されていたケースがもちろんあったよというコトかもしれませんが。
因みに、ストリーミング映像を提供するというのは数年前からありました。でも、これはずっと見ていないと話がわからない。それ自体を何かしらアーカイブし
て後から参照出来ないケースも多くあります。それに対して最近はストリーミングで流れるプレゼンテーションをネタにTLが埋まる現象も置きつつあったりし
ますが、それとて所詮は公開井戸端会議の域を出ないという気もします。もちろん、それ自体はとても面白いですし、私自身が仲間内のそういう議論に積極的に
関与した事もありますけど。
今回の事例が物語る、情報の中抜き伝達と報道機関の立ち位置
たとえばストリーミングであれテレビでの中継であれ、直接一般の人が内容に触れることが出来るチャンスがある場合があります。そうなると報道機関としては単にその事実関係だけを伝えるという速報性の一部をスポイルされることにもなるわけですが、実際にはたとえばその背景はどうだとか、波及するであろう影響はどうなるのかとか、今後どのような動向を引き起こすのかとかの分析、解説、論説を付加価値としてつけるというあるべき姿の部分は当然残るわけです。
逆に言うと、その部分が報道機関に例えば私なんかが求める姿だったりします。すると当然ソコでの論調や姿勢が各社の立ち位置を明確にするということで、それが新聞、雑誌、そしてテレビなどの媒体特性を踏まえた特色ともなるわけですよね。で、それがWebになってもBlogみたいなものであっても、その部分の特性を失うことは無いとも思います。
自身が持った媒体としての特性と、モノを伝えるという部分での立ち位置。形はひょっとしたら技術の変遷や世の中の流れで変わってくる可能性もあると思いますが、プロフェッショナルとしてモノを誰かに伝えるという役割は消えることは無いと思うんです。
これが、アマチュアのブロガーとプロのジャーナリストの違い、と個人的には思っています。
だれでも報道できるというのは思い上がりで、誰でも自分が見たものを伝えることは出来るけれど、その裏側や事情を理解した上で他の人に伝えるという仕事って、やっぱりプロフェッショナルの仕事だとは思うんですよね。
それが全ての報道機関の報道に関わる人に貫かれているかどうかという評価をする立場には無いですけれど、とりあえずそんな風に思い込んでる私は、多分とても楽観主義的な人なんだとは思いますけれど。