iTunes App Storeから「評価付け詐欺」で1000以上のアプリケーションが削除された件で思うこと
iPhoneもiPodも使ってないんだし、義理も愛情も無いんだからコトあるごとにiTune入れてね♪ってのは止めてくれという主旨のエントリーQuickTimeをいれたらSafariとiTuneも入れてよとポップアップが出て鬱陶しい件を最近書いたのですが、なんだかその裏側でやっぱりなぁと思うことが起きていたという話。
いや、まぁ、あのその、そもそもCGMってのに懐疑的な部分を持ってる私なのですが・・・
Apple社、「評価付け詐欺」で1000以上のアプリを追放処分に
元ネタはWired Visionに掲載された上記の見出しのこの記事。それこそSEOとかSEMなんて言葉が出てきた頃もそうだったんですが、人が考えることってあんまり変わんないよな、と思ってしまいます。実はマーケティングコミュニケーションに関わる人間として「それを言ったらおしまいよ」という危険性もあるのですが、評価を作り上げるって言う活動に対する主体性がどこまで許されるかというところに関わるコト。
- 適当に成果が出れば正しい市場創造と褒められる
- 相手を罵倒してしまうと喧嘩になる
- 相手の評価を下げる動きをすると流言飛語だ、ソースを出せと怒られる
- 適当に自分の評価を持ち上げるのはドキドキ
- 過大に自分評価を作り上げると嘘つきと言われて(誰かに)怒られる
- つつましく素直にモノゴトを進めると「何もやっとらんじゃろ、ドアホ!」と怒られる
なんだか怒られるか喧嘩してるかのどちらかしか無いみたいですが、要はバランス。自分だけではなく相手や色んな環境条件の中でのバランスの話なんですけど、それが行過ぎるとこうなってしまうという良い例。
評価の吊り上げ
これはやっぱりマズイでしょ、と誰もが思うわけで、で、実際に中身が伴っていない状態であればなおさら。結局StoreのオーナーであるAppleに叩かれた形になったわけですが、これが単なる特殊な例なのか、あるいはスケープゴートなのかについてはよく判りません。
で、思いを馳せるのは、マーケティングコミュニケーションという活動が内包する危険性
この件で言うと、CGMという仕組み、あるいはそれに類する仕組みが根本的に内包する危険性が露呈したとも言えると思います。金を使うかどうかは別ですし、物理的に別の人がやるのか成りすましでやるのかは別ですが、ある特定のものの「第三者からの評価」を吊り上げる事によって市場を作り上げてしまうという行為自体が、善意の第三者の行為なのか、あるいは悪意の第三者の行為なのかを区別しづらいことかと思うんですね。
もちろんユーザー認証があるだろうとか色々な対策や方法はあるわけですが、ブログを経由したペイドパブの問題などと同じで、何らかの意図を持って仕込めばやり方次第でどうにでも出来てしまう可能性があるわけです。
今回の件のカラクリについての詳細の情報を見つけていないので具体的に誰がどう立ち回ったかっていうのはよく判らないのですが、たとえば市場を仕込みで作り出そうとするマーケッターであれば当然考えることでもあり、かつ誰かに刺されない範囲でやるわけですが、今回はどうやら目立ちすぎた。そりゃ確かにアプリの数で1,000以上、全アプリの1%くらいにも達する単一の作者の案件ですから。
因みにCGM自体を嫌っているわけではありませんよ
裏づけの権威、とは言い切りませんが、何かしらの裏づけ、もしくはその発言を担保できるものが無いなかでの何かに対する評価をどう理解するかと言うのは慎重にならざるを得ないよなと、個人的には思っています。結構常々思っています。
じゃぁお前がブログに書いてることってどうなのよ?と言われると、まぁ、とりあえず私個人として思うところを書いているだけなのですが「俺は頑張って何かしら誰かにとって有益な情報を発信するぜ(きりっ」見たいな力の入り方はしていないので、まぁそれなりの戯言だと思っていただければ嬉しいです。それで市場形成しようなんて大それたことはこれっぽっちも思ってませんし(笑
物販サイト、通販サイト、グルメサイトなどなど、色んなものに対するレーティングをするところってのは一杯ありますし、それこそ雑誌でも何でも当然あるわけです。わかりやすいから。でも、その評価を誰がどのような意図でつけているのか、そもそもその意味は何なのか、そして自分はそれをどの程度アテにするのかっていう立ち位置をキチンと考えないと、と改めて思った次第。
本当の知り合いからの口コミ、紹介、そして・・・
因みに一般的なレーティングはあまり信用しない人なのですが、たとえば飲食店についての人からの紹介ってのはよく受けます。っていうか、誰かに相談して、一度一緒に連れて行ってもらってってのがよくあります。チェーン店ならともかく、飲み物や食い物が旨いかどうか、そして雰囲気ってどうよ?っていうのを一見さんとして探検するのはもう面倒くさくなったってのもアルのですが、たとえば「この人」が知ってる店なら心配ないよね?ってトコロの安心感って言うのは大きいです。私にとっては。
それがモノの話になると人づての評価ってのは話のネタにはしますが、あまり自分では参考にしないという頑固者なので、そこは口コミ系では動きませんよ、私は。で、自分が動かないので人を動かす気も無く、よってもって口コミマーケティング系の話が来ても大体「ふーん。がんばってね~」で終わる、私ってとても嫌な人です(笑