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ビジネスモバイルITベンチャー実録【朝メール】から抜粋します

伊藤忠関連のベンチャーだったらこの会社はすでに畳んでいます

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★開発体制がうまく行き始めたと確信をもった頃のことです。

■冷静な第三者意見を聞く
2005年秋口のことです。伊藤忠商事の副社長からその後、今のスカパーJSATのJSAT側を立ち上げした佐藤さんという方に、弊社の社外取締役になってもらいます。父の友人であり、海外で自分が3歳のころからの家族ぐるみのお付き合いだった人です。やはりB2B用途では、経済界の重鎮がいてくれるのは大切な要素だと考えたからです。自分の役員報酬は相変わらずカットしている状態です。無給でお願いしました。

佐藤さんに事業とお客様の状況と、製品開発がインド人パートナーと実にうまく進み始めた旨を誇らしく説明します。その年度には何とか黒字に持っていこうという意気込みも語りました。じっくりとその話を注意深く聞く佐藤さん、「とりあえずは」と、資料を持ち帰ってから数日後に電話があります。

「どこかでお会いできませんか?」

何か言われるのかとの妙な緊張感と、もしかして打開策があるのかとの期待感を持ちながら、待ち合わせ先のグランドアーク半蔵門のコーヒーショップに向かいます。佐藤さんが言います。

「伊藤忠関連のベンチャーだったら、この会社は間違いなくすでに畳んでいるよ。それで、今のお客様に迷惑をかけないように保守だけを、例えば別会社で継続していきますね。史郎君もそういう考えは無いのかな。ここで燃え尽きたら人生がもったいない。保守だけを継続できる得意なところを探して渡して、自分がボロボロになる前に別な道を歩くという選択肢はないのかな。」と。

自分たちが「何とかなる」という気持ちを持ち始めた矢先でした。経験豊富な経営者からの事業の見え方に、自分の認識と大きなかい離があることに改めてショックを覚えます。借金を背負っていてバランスシートはぐちゃぐちゃ、さらに事業が1年間やってプラスマイナスゼロ、あるいはぎりぎりプラス。「そのような事業に存続価値があるのだろうか」と、素朴に聞かれたわけです。

そのとき、素材という息の長い開発スパンが必須である東レがエンジェルであってくれたことには幸運を感じました。あえて自分たちを急いでターミネートする(終息させる)、あるいはエグジットを急ぐようにとは言っていません。それよりも、小さいけど芽生えてきた可能性に期待してくれています。

「まだこれからです。やれるところまでやります。」 それが自分の意志でした。

その後、佐藤さんは様々なお客様を紹介してくれます。佐藤さんの年齢が若干離れすぎていて、当時のかなり離れた部下ですら、今ではかなり上の役職になったりしていました。ただ、その人たちは「佐藤さんのためなら」と、不思議なほど無理を聞いてくれたりします。仕事における誠意ある姿勢というのは本当に大切なのだと学びました。結局は誰からも協力が得られる「人徳」につながるようです。

そして本格的な資金繰り難がやってくるのはこの直後でした。

以下次号・・「『現預金デスバレー』25日から月末までの二度としたくない恐怖体験」へ

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★シリーズものですが、タイトルを少し変えることにしました!

※20100316: 次記事へのリンクを張りました。

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