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ビジネスモバイルITベンチャー実録【朝メール】から抜粋します

創立10周年を迎えることができました(2)

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★昨日の『創立10周年を迎えることができました(1)』には、沢山のブログとTwitterによるコメントをいただけ、ありがとうございました。続きを書きます。

しかし受託というのは、積み重なりが少ないです。自転車創業になりがちです。やれどもやれども感に悩まされます。「こういうことをやるために起業したのだろうか」。自問自答の日々が続きます。

そのころ開発した「ケータイ描きピー♪」 というサービスをご紹介します。専用シートに絵を描いてコンビニのクロネコFAXで送信すると携帯電話の待ち受け画面にできるというものです。ヤマト運輸へのB2B2Cという位置づけで提供したサービスでした。

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★サービスを当てることができなかったです。。

■やはり自社製品にもう一度チャレンジしよう、B2Bで
2002年、開業2年経過したところで反省をします。自分たちは、自分たちが良かれと思うモノを創ってから、姿の見えていない一般消費者に公開して内容を問うスタイルをとっていました。「インターネットにはこういう使い方があるんだよ」と、ちょっと上から目線で傲慢だったかも知れません。それを改め、具体的なお客様が、何にならお金を払ってくれるのかを聞き、その情報をベースに製品を開発しなおそうと決めたのです。

2年間で開発した要素技術は多数ありました。一般消費者向けにそれら提供しても、お金はなかなかいただけません。一方、法人のお客様であれば製品や部品を提供したとき、あるいは委託で「わがままを言ってそれを聞いてくれた分は払うよ」と技術料をくれます。

東レで素材をメーカーに販売してきたという自分の経験からも、法人向けのビジネスの方が現実感がつかみやすいです。感覚的にもアラフォーの人たちが考えたコンシューマー向けサービスは、どうやらあまりいけてません。ターゲットを法人にした方がよさそうです。B2CB2B2CB2B へとのの方向転換を決めました。

■200社プロジェクト
そこで考えます。自分たちの中核に何を据えたらいいのかをです。コア技術はファイアウォールを安全に透過できる通信技術でした。これを応用すると、例えば会社のパソコンのメーラーにあるメールを、携帯電話でリモコン操作して、読んだり検索したり返信したりすることもできます。

コア技術のデモ環境を作り、他の要素技術や実績の冊子とを用意し、知人に紹介してもらった会社から東レの関連会社へのアポイントメントを取り、実際に200社に持ち込んで相談をさせてもらいます。3ヶ月くらいで徐々にコンセプトが煮詰められてきました。当時はこれを「200社プロジェクト」と呼んでいたのです。

■「自社製品開発はラストチャンス」の思いで「カチャットサーバー」が誕生
「200社プロジェクト」でコンセプトを煮詰めた後に、「カチャットサーバー」というコンセプトが産まれてきました。これは専用サーバーを、LANのケーブルに「カチャっ」とつなぐだけで、携帯電話から会社宛の電子メールが読めるようになるというものです。これをインドのバンガロールで開発着手します。いいじゃんネットはITバブル全盛の頃に立ち上げた会社だったので、当初から開発をインドの会社に協力してもらうスタイルをとっていました。

「カチャットサーバー」には、外部アクセスのために専用のウェブサーバーを立てる必要がないというメリットがあります。導入は短時間で簡便にでき、運用管理が楽になるはずです。200社からのインプットの結果、これなら法人のお客様に買ってもらえるだろうという、自信のあるコンセプトでした。

東レからの借金を積み増しさせてもらい、何とか開発費を捻出します。ありがたいことに、東レから受けていた信頼はまだ絶大でした。半年で開発が終了しました。それを2003年1月29日の日経新聞に掲載してもらいます。

200302129

「これでようやく売れるものができた!年末には左ウチワになるね。」

たまに自分の楽観的なところは、天性のものではないかと思います。実際にこの製品が黒字化するのには、この後丸3年もかかります。そして当時はまだ、品質と資金と人的な地獄を見るとも知らずにいたのです。

■最初のお客様たち
最初に「カチャットサーバー」を買ってくれたのは日本情報産業という会社でした。知り合いの知り合い経由で、縁故で代理店となってもらい、自社の検証機を買ってもらったのです。2003年3月のことでした。追ってパナソニックCCソリューションズという、これまた代理店になってくれたところ、そして東レにも「モルモットになってください」とお願いして買ってもらいました。順調な滑り出しといえるかも知れません。

ところが、東レでの導入に思い切りトラブルを発生させます。Notesメールとの連携がうまくいかないのです。インド人プログラマーたちを滋賀県の現場に出向かせ、現地でコードを直しながらコンパイルするというやりかたで手直しをします。東レのシステム技術者には「この程度なら自分でも2ヶ月もあれば作れますね。」と皮肉を言われたりもします。そこに愛想笑いをしながらいる自分がいました。

東レで苦戦していると、三井生命と、新横浜にあるIT商社とが、同時に検討を始めてくれました。社内では東レと合わせて「御三家」と呼んでいました。三井生命の担当者さんは意外なことに、自分たちのコア技術だったファイアウォール透過の通信技術が、「セキュリティ的にはかなりいい」という着眼から本気で検討してくれていました。

お客様に教えられるとはこのことです。自分たちはモバイルアクセスの利便性を前面に打ち出していたのですが、本当のメリットはセキュリティの高さにあったのです。

■3ヶ所で同時に火を噴く
2003年の夏は暑い夏でした。東レ(滋賀県)、三井生命(千葉県)、IT商社(神奈川県)の3ヶ所での導入検討が始まります。どのお客さまも1000名規模での採用になりそうで、Lotus Notesをグループウェアとして使っているお客様でした。

物事には同時性というものがあるようです。原因が同じトラブルが3ヶ所で同時発生するようなことに見舞われます。それも毎週のようにです。社内で問題を解決しようとしていると、それぞれのお客様担当者から言われます。

「まずは駆けつけて調査するくらいの姿勢を見せるのが筋じゃないですか?」

滋賀県と千葉県と神奈川県です。技術者を派遣し続けるとしたら外のお客様を優先したいという判断になりました。そこで、東レの方に連絡をして謝ります。

「すみません、外部のお客様を優先させてもらいます。」

「もちろんです。そうしてください。」ありがたい言葉をもらえました。

午前は新横浜、午後は柏と、インド人技術者と毎日訪問する日々が始まります。先日、当時担当をしてくれていた東レの人からの後述談メールをもらいました。

私、一つ、気になっていることがあります。

東レへのかちゃっとの導入をやっているときに、サーバ側ソフトでトラブルがあって、いいじゃんさんの対応が無いわ、東レの利用者からはクレームの電話が鳴り続けるわで、私のイライラが爆発してしまい、いいじゃんにクレームの電話を入れたことがあります。

その時に、いいじゃんの技術のわかる人が外出していて、横浜銀行出身の方(名前を忘れてしまって申し訳ないのですが)しかいなくて、私は、その方に、ひどい言い方で、クレームを入れたんですよね。

その方は、まったくの平謝りでしたが。私も言い過ぎているなと思いつつ、これも仕事だと自分に言い聞かせながら、一方的に文句を言ったことがあります。

あとになって、経理の人に向かって、さんざん文句を言ったのを後悔していました。その方の心を傷つけてしまっただろうなと、反省しています。

★本当に周りに色々と迷惑をかけて製品を立ち上げさせてもらったのだなと、今、存在できていることに感謝の気持ちでいっぱいです。

次号>>『創立10周年を迎えることができました(3)

※20100316: 次号へのリンクを張りました。

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