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ビジネスモバイルITベンチャー実録【朝メール】から抜粋します

創立10周年を迎えることができました(1)

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2000年3月6日が株式会社いいじゃんネットの創立記念日です。一般的に創立記念日とは、会社設立登記申請書が本店所在地管轄の法務局に受理された日をそれにします。10周年ということは、10年前にその手続きをしたわけです。

自分は東レに30代半ばまで、Kevlar(R)という高強度繊維の用途開発技術者として、米国へのMBA留学を間にはさみ、足かけ14年間勤めました。そこから専門的には未知のITへと転出したのですから、蛮勇だったともいえるでしょう。

ベンチャービジネスを立ち上げることが、これほどまでに不安定かつ不安なものであるのかという実体験をしました。そして、それを信じられないほどの多くの援護を受けながら継続させてもらっていることに幸運を感じずにはいられません。日々は光速で過ぎていくのですが、密度が高く、ものすごく長かった10年でした。

これからの10年を考える上でも、一度10年間に何をしていたのかをまとめてみようと思いました。

■東レのベンチャー支援制度を利用した立ち上げ
会社は東レのベンチャー支援制度を利用して立ち上げました。そのベンチャー支援制度というのは、次の条件があるものでした。

(1) 勤続3年以上の社員であること
(2) ビジネスプランを経営企画室に提出すること
(3) プランがOKなら事業化についてベンチャービジネス推進委員会で検討すること
(4) 委員会として起案し社長決裁を受けること(常務会での審議)
(5) ベンチャービジネスの推進者は東レから退職すること
(6) ビジネスをやる人が最低500万円を出資すること

よく見てみるとなかなか厳しいです。社内ベンチャー、いわゆる社内インキュベーションを経ての立ち上げだと、よく間違われるのですが、これは最初から退路を断ってのスタートですね。東レのその制度の思想では、それくらいでなければ成功できないだろうとのことです。

この厳しい条件にチャレンジしようと、出てきたビジネスプランは10件程度あったそうです。実際に委員会を経て開業にこぎつけられた第一号は自分たちの「株式会社いいじゃんネット」でした。その後も我々の苦戦を横目に見ていたためか、第二号案件は出てこず、その制度は事実上無くなったので、東レから公式スピンオフしたのはこの会社だけということになります。

■当初のビジネスモデル
2000年当初に描いていたビジネスモデルは、今でいうGmailとかHotmailに近いです。ネット上に電子メールを無制限に保管でき、ファクスと電子メールをやりとりできる環境を提供し、ファイルサーバー環境を提供し、そこに携帯電話やパソコンなどの様々な端末からアクセスできるようにする、いわばデータ通信のハブ+蓄積所になろうとしていたわけです。データ流通事業、今でいうクラウドですね。

電子メールやファイルを媒体に入れて有償返却することと広告モデルとで一般消費者向けのサービスを提供し、ポジションができた段階でビジネスへの転用をしてさらなるビジネス拡大をしようと計画していました。まずは一般消費者向けのB2Cで浸透させようと、社名も覚えやすい「いいじゃんネット」にしたのです。

10年前のハードディスクは、佐川明美さんのレポート『テラバイト(Terabyte)の先は?』にもあるようにかなり高価でした。自分たちも数百万円も投資して240ギガバイトのRAID構成を組んだハードディスクを買って、この4倍でテラの世界に入っていけると、わくわくしていたような時代です。このデータ流通事業が成り立つのは、その後のハードディスク価格の低下が劇的に起きるだろうとの見込みがあり、その部分だけは正しかったです。

2000_businessplan_2

■当初のビジネスモデルの失敗
失敗した理由は多々ありますが、大きかったのは次のことだと考えています。
・電子メール外部保管に対する消費者の心理的抵抗が想定より大きかったこと
  (早すぎる概念はビジネスになりません)
・電子メールを大量保管することの難易度が想定と違ったこと
  (当時はIMAPですら安定運用は困難だといわれていた時代です)
・開発を外部でやったこと
  (いくらお金があってもそれは無理です)
・品質管理ができなかったこと
  (ITだから作り込みが甘くていいという考え方に根本的問題がありました)
・体力の見誤り
  (この構想を実現するには巨大資本が必要です)

そして何よりも大きかったのは、「トロイカ体制」と自分たちではご満悦だったのですが、自分を含め3人が、それぞれが平等な経営者であるという約束の元、合議制で物事を決めていたことです。会社経営での平等性は甘えにもつながり、危険です。

■受託時代
当初のビジネスモデルは立ち上げに失敗しました。会社をやめるかどうかという選択肢は不思議と頭の中に浮かびません。社員がいます。家族もいます。お金は稼がなければいけません。

携帯電話分野に特化した他社サービスの受託開発を始めました。i-mode全盛の頃です。他社の公式サイト開発を手伝ったり、携帯電話とバーコードリーダーを組み合わせてPOSデータ収集や現場作業管理をする仕組みを作ったり、極端な例では東レの関連会社のホームページから受発注システムの受託までやっていました。

しかし受託というのは、積み重なりが少ないです。自転車創業になりがちです。やれどもやれども感に悩まされます。「こういうことをやるために起業したのだろうか」。自問自答の日々が続きます。

以下、『創立10周年を迎えることができました(2)』に!

★今朝は横浜駅で始発電車が人身事故で止まってしまいました。その救出に1時間以上かかっていたために、2番目の電車に乗っていた自分は、このブログを中でせっせと書いていたのです。

※20100306追記: 当時描いていたビジネスモデルの概要図がでてきました。文中に追加しました。

※20100316 次の記事へのリンクを張りました。

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