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株式会社インフラコモンズ代表取締役の今泉大輔が、現在進行形で取り組んでいるコンシューマ向けITサービス、バイオマス燃料取引の他、これまで関わってきたデータ経営、海外起業、イノベーション、再エネなどの話題について書いて行きます。

"Machine is Us"的文脈における身体能力の獲得について

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素朴に考えるに、現在のインターネットは「生きている痕跡を残すための空間」になっているわけです。その行動の軌跡をCGMと呼んでもいいし、コミュニティと読んでもいいし。一億総表現社会と呼んでもよいでしょう。

Twitterを少し使ってみて、以前の95年頃のホームページ時代なども思い出したりして、かつ、PC-VANやNifty Serveの時代も思い出したりしてみると、総じてネットというものは、ユーザーが「生きている痕跡を残すための空間」である、という言い方は、間違っていないように思います。ネット上での振る舞いは猫における匂い付けのようなものです。
ブログもその行為を行うための1つのツール。Twitterも1つのツール。mixiもその他のSNSも。中高生が使っているプロフもモバゲーも。オンラインゲームもSecond Lifeも。

そのように考えると、何が可能でしょうか。

恥ずかしながら、マクルーハンが「テクノロジーやメディアは人間の身体の『拡張』である」と主張しているということを最近知りました。

インターネットが人間の身体のどこかの部位(それも複数。脳とか鼻とか)の「拡張」であると考えると、「生きている痕跡を残す」という行為は非常に自然なことです。
インターネットの上で多数の人がちが「生きている痕跡を残す」と、それが自分にもフィードバックされ、他の人たちにもフィードバックされます。大いに痕跡を残し、自分や他人から大いにフィードバックを受け取っている人たちは、おそらく、過去にはなかった特殊な能力を発達させていくのでしょう。

今年2月(はるか昔のことのようです)に話題になった「Web2.0」という感動的なビデオ。あれの最後の方で、"Machine is Us"ということを言っています。いまYouTubeのオリジナルを表示させてみて、この動画の正式なタイトルが「Web 2.0 ... The Machine is Us/ing Us」であることを始めて知りました。含蓄が深いタイトルですね。
意味するところは「巨大な機械が出現していて、それはわれわれから成っている。しかもその機械はわれわれを使役している」という感じでしょうか。

自分ははからずもこのビデオの"Machine is Us"というくだりで泣きそうになったのですが、自分の宗教的立場から言うならば(プロテスタントのクリスチャン歴6年)、"Machine is Us"という表現は神学的にも聖書的にも大いに問題のある表現であることは明らかであるのですが、それでも一歩踏み込んで、ステレオタイプで判断することをやめると、そして日ごろ自分がインターネットをこのように使っている様と総合して考えてみると、やっぱり現代のインターネットを活発に使っているユーザーの大多数は、何らかの新しい能力を獲得しているようにしか思えません。

その能力は、コンピュータとネットワークとその向こうにいる不特定多数および特定少数のユーザーたちとが一緒になっている、言表しにくい、"Macine is Us"としか言えないような、意識と記憶と欲求とデバイスとネットワークとコミュニティとが渾然一体となった環境と、深く分かちがたく結びついています。その能力の一端はと言えば…、ネットでなんとなく嗅覚が働くとかですね、この人はほんとのことを書いているのかどうか何となくわかるとかですね。拡張版メディアリテラシーのようなものです。
この能力は上でも述べたように、定常的な行為と、それが外界に定着されたことによる(可読化されたことによる)自分へのフィードバック、および他の人たちに与える影響とそこから自分が受けるフィードバックが繰り返し繰り返しなされることによって、獲得されるわけです。何であっても、身体的な行為は繰り返されることによって能力が増強していきますからね。

能力という言葉はふさわしくないかも知れません。われわれは、ある広告表現に優れた価値を見出したり、ある種のファッションに非常に共感を覚えたりする感覚をすでに持っているわけですが、そうした感覚は、歴史的にはつい最近になって得られたものなわけです。モダンなカルチャーが発展するなかで獲得された身体感覚なわけです。"Machine is Us"的な文脈にある能力というのも、それに近いものであることは確かです。

その身体感覚をもってインターネット上に「生きている痕跡を残すため」に使うツールが、人によってはブログだったりmixiだったりする。自分は先ほどアップした投稿の「ブログスフィアの規模は120万」というのを、正直なところ「かなり少ないなぁ」と驚いてしまったのですが、ブログが、CGM系のツールの1つに過ぎないと考えれば、縮小再生産がちらつくことから逃れられます。

つまり、人は、これからもインターネット上で「生きている痕跡を残」していくし、それは今始まったばかりである。それによって、現在数%程度の人が獲得している新しい身体感覚は、普遍性を獲得していく可能性もある。それをベースにして、何かの新しい産業が興ったり、新しい雇用が生まれていく可能性もある。そのように考えていきたいですね。(この時間帯だが完璧しらふ)

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