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アジャイル的コンテンツ作成術、あるいはワインバーグの自然石構築法

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文章術や本の書き方みたいな本を読むと、

まず骨子(あらすじ)を書き、それをブレイクダウンして文章に落としていきましょう。

などと書いてある。ありゃ嘘ですな。

・骨子⇒章立て⇒節にブレイクダウン⇒文章化

という流れは、一見合理的で、正しそうに見える。
この考え方は、システムをウォーターフォールで構築する時の

・要求定義⇒要件定義⇒基本設計⇒詳細設計⇒プログラミング

という流れとそっくりなので、このブログではウォーターフォール文章術と呼ぼう。


★ウォーターフォール文章術の実態
実際にウォーターフォール文章術で書かれた本はたくさんある。だが、面白い本にはならない。
これまで「本は理論構成や骨子が大事なので、まずは章立てをしっかり固めるべきだろ」「君の書き方は枝葉末節にこだわりすぎるし、効率も悪い」「しっかりブレイクダウンしていかないと、支離滅裂な本になってしまうぞ」などと僕に説教をしてくれた人は何人かいるが、その人達の書いたものを読んでも面白くない。
薄いのだ。

ここまで読んでもピンとこない人が多いと思うので、なぜウォーターフォール文章術だとつまらない本しか書けないか、描写してみよう。
例えば「システムを作らせる技術」の一部である、ベンダーの選定方法について書く場合。ウォーターフォール文章術だと、まず構成を考える。こんな感じのEXCELを書いたりする。

310_20220502_ウォーターフォール文章術.jpg

ブレイクダウンしていく、という意味がおわかりだろうか。しかしブレイクダウンというと聞こえがいいが、コンテンツ作成においては、「薄めていく作業」に近い。
・ベンダー選定の1工程に"RFI作成"がある
・RFI作成の説明には、"RFIという文書に書くべきこと"のリストが必要
・RFIには現状システム図と現状業務図を載せる
といった具合だ。

あなたがその内容に詳しいのであれば、どんどん薄めていけば、いずれ本にするだけの分量は書き上がる。でも、つまらない。薄めてるから。

薄める、というのをもう少し正確に言おう。こうやって書いた本はひたすら"説明"に終始してしまう、ということだ。
・RFIの目的には3つある
・1つ目は○○である
・2つ目は××である
・3つ目は・・
という具合に。
その説明は正しい。正しいことを書き連ねているのだから、書き手も悪いことだと思っていない。でもつまらない。ひたすら正しい説明が続くのを300ページも、読み通せます?僕には無理。

こういう本、結構ありますよ。書名は伏せるけど、先日新規事業創造について読んだ本がまさにそんな感じだった。例えば「なぜ今、新規事業やイノベーションが必要なのか?」について、2ページくらいで語れそうなことをダラダラと1章使って書かれている。
まあ、これは単に「not for me」というだけで、新規事業やイノベーションの必要性について読んで「なるほど!」と勉強になったり、やる気がアップした人もいるのかもしれないが・・。
とはいえ、実際に新規事業立ち上げを経験していくなかで経験した著者の生々しいエピソードとか、新規事業を起こせずに困っている企業についての鋭い知見は何も書かれていないので、僕は「薄いなあ」という感想を持ってしまった。(どんな内容だったか、もう少し思い出そうと思ったが、何も覚えていなかった)


★アジャイル文章術
それに対して、僕は「アジャイル文章術」とでもいうようなやり方で本を書いている。本だけでなく、セミナーコンテンツのパワーポイントや社内トレーニングなど、まとまったコンテンツ作成は全てこのやり方だ。
このやり方は僕の独創ではなく、師匠であるワインバーグから教わった。彼は「ワインバーグの文章読本」という本でこの方法論を解説している。(彼は自分の方法論を「アジャイル文章術」ではなく「自然石構築法」と呼んでいる)

当時の僕はまとまった文章を書こうとは全く思っておらず、単に師匠の新刊だから、という理由でこの本を読んだ(Amazonによると2007年)。1冊目の本を書くことになったのは、その1年後のことだ。
だから執筆人生のスタートから、このやり方でしか文章を書いていない。(ブログを書き始めたのはさらにその2年後とか)

大昔にやったコンテンツ作成についての社内トレーニングから、両方の違いを端的に示すスライドを紹介しよう。

310_20220502_記事トレーニング.jpg

上がウォーターフォール文章術、下がアジャイル文章術。
アジャイル文章術の特徴は、最初にとにかくネタを集めまくることだ。
ネタには様々な大きさがある。例えばベンダー選定だと、

以前ベンダー選定の会議で紛糾したときに、お客さんが「中学生が運転するベンツ」の話をして、あれ、すげえ面白いし、本質をついていたよな

みたいなちょっとしたエピソードもネタだし、

「SaaS時代にパッケージ選定はどう変わったか?」というテーマをきちんと書いてあげた方が、将来の読者にとっては親切だな

という、少し重めのテーマもネタだ。
大小は問わず、とにかくネタを集め続ける。(ワインバーグ師匠の本ではネタの集め方も解説されている)

先ほどと同じベンダー選定について集めたネタのリストってどんな感じかというと、
310_20220502_アジャイル文章術.jpg



まず最初にネタを集めまくるべし、というのは、教科書だけではない。1冊目の「反常識の業務改革ドキュメント」は実録物語だが、例えば

朝、プロジェクトルームにいったら川口さんがのっそりと起きてきたシーンはなんか書きたいな・・

とか

井上さんがリーダー会で深刻な顔してダジャレ言ったシーン

みたいなのも、実際にあったことをネタ化したものである。

で、本が書けるくらい十分ネタが集まったら(慣れてくると分かるようになる)、それをうまく組み合わせる作業に着手する。
「中学生が運転するベンツ」みたいに、一つのコラムとして適切な箇所にぶち込むこともあるし、「井上さんのダジャレ」みたいに、本文中に「・・と、どんなときも僕らはHaveFunを忘れなかった」という感じで差し込むこともある。

この方法の発案者であるワインバーグは、「自然石を集めておき、うまく組み合わせて石垣を作る作業」という比喩でこの構成作業を表現している。

ちなみに、集めまくったネタは、他のネタとうまく組み合わせられなかったり、他のネタに比べて価値がないと思えば、捨てる。逆に言えば多くのネタを捨てても惜しくないくらい、もっと大量にネタを集めておかなければならない。
それについて以前、このブログにも書いたことがある。

ある時、英会話のGABAの広告で
「GABAでは教室を、教室ではなくLS(Learning Studio)と呼んでいます。中身が違うから名前が違うのです」
という(ような感じの)コピーがあった。

僕はその時「お客さんのプロジェクトに僕らの方法論を持ち込む時の機微」について本に書こうと思っていた。だから「ああ、僕らが要件定義をやるフェーズをScopeフェーズと呼ぶことにこだわるのは、中身が違うからだ。別なことをやっているのに使い古された名前を使わないほうがいい」ということに気づいた。

結局この話は実際に本を書くときにはボツにしたのだが(読者にとって価値が低いから)、それは結果論。
https://blogs.itmedia.co.jp/magic/2019/06/post_66.html

こんな感じで捨てる。
とはいえ1冊目の本には使わなかったというだけのこと。ネタをしまっておく倉庫は無限に広いので、正確に言えば捨てるのではなく、また倉庫に戻すだけ。
なお、1冊目の本には使わずに倉庫に戻したこのネタは、10年後のブログでこうして日の目を見たわけだ。
さらに13年後に出た5冊目の本でも「名前が違うのは中身が違うからだ」という1文となって、ネタとして使われた。1冊目の本にとっては価値が低くても、Scopeフェーズについて詳しく説明した「システムを作らせる技術」に載せる価値はあると判断したからだ。


★アジャイル文章術の優れた点
この方法が良い点はいくつかある。
まず、先に触れたように、最終的に出来上がるコンテンツがリッチになることだ。書きたいことをひたすら薄めていくウォーターフォール文章術とは違い、作者が書きたいこと、ちょっとしたエピソード、知っておくと便利な工夫、ユーモラスな出来事・・などなどを詰め込めるから、自然と濃い文章になる。

ちょっと想像してみてくださいよ。
「システムを作らせる技術として読者が知っておくべきことはまず要件定義が・・」というノリで書く本と、「20年前に炎上したプロジェクトについて懺悔しよう」「あのプロジェクトでやった要件の洗い出し方、Coolだったなぁ・・是非紹介しよう」と興奮気味に語る本、どっちが面白いかなんて明白じゃないですか。
(その代わり、優れた編集者がいるか、著者に編集能力が備わっていないと、とっちらかった本になってしまう弱点がある。自然石は集めたが石垣が組めない状況)

数えたことはないけど、「システムを作らせる技術」くらい厚い本になると、詰め込まれているネタは大小500は超えているだろう。なにしろ、結果的に1行にしかならないネタなんかもあるので。
でもそのお陰で、無味乾燥で眠くなる教科書ではなく、立体的な読後感のある、読んで面白い本になっている。
いや、自分で言っているだけじゃないんですよ。。たまに書名でエゴサすると「役に立ちそう」とかじゃなくて「泣ける」「多くの修羅場をくぐった著者」「あっという間に」「わかりみ」みたいなエモーショナルな反応が多い。
こういう嬉しい感想がもらえるのも、アジャイル文章術で書いているからだ。
ウォーターフォールだとこの手のネタを差し込む隙がないというか、そういうのを書こうと思わないうちに書き終わっちゃうんだよね。

次に、 「自分がどんな本を書くのか、正確に把握していなくても書き始められる」というメリットがある。これ、どういうことか分かります?
僕はすでに5冊の本を書いているが、専業作家ではないためか、いまでも書き始めた時点ではどんな本になるのか、見通しが立たない。いや「こんなテーマをこんなトーンで書きたい」というビジョンみたいなものはあるのだ。でも、それが正しいとは限らない。

例えば5冊目の「システムを作らせる技術」は最初要件定義の本として書き始めた。ずいぶんたってから、「あ、僕らが一番得意なのはシステムを作ってもらうノウハウだし、世の中にもそれを書いた本はないし、要件定義なんてその一部でしかないんだ」と気づいた。

今書いている6冊目の本だって、一応章立ては作ったけれども、まだまだ手探りだ。小さいことでいえば、「お客さんのことを、"顧客"と書けばいいのか、"お客さん"にすべきか?」とかも決められない。もう少し書き進めて全体のトーンが分かってはじめて「あ、この本は"お客さん"にすべきだ」となるのだろう。だから後で直す前提で「とりあえず」で書き進めるしかない。

この「先行き不透明ながら手探りで書くしかない」というのは、専業作家でなければかならず直面する状況だと思う(僕の場合は、テーマを完璧に理解したくて執筆する感じなので、その傾向が強いと思うが)。

以前、自分でも本を出している記者兼編集さんにこの話をしたら、「いや、文章は完璧にウォーターフォールで書くべきです。構成がぐちゃぐちゃになってしまう」と言っていた。この方はプロの記者なので、そういう技術を身に着けているのだろう。特に「完璧に取材をして、書くべきことを理解してから書く」という姿勢を。

でもそれはプロにしかできないと思う。もっと言えば、「自分自身がコンテンツをつくる人ではなく、コンテンツを持っている人に取材して文章化する人」だから出来るんじゃないかな。

手探りしながらコンテンツをゼロから作るような状況で、ウォーターフォール的な方法論がうまくいかないのは、ソフトウェア技術者にとっては常識ですよね?僕が師匠の「自然石構築法」を「アジャイル文章術」と呼び替えているのはこのためだ。

1章書いてみて、ユーザーに読んでもらう(僕の場合、プロダクトオーナーは転職する前の自分だが)。で、ユーザーが「これ、いまいち」だの「ひとりよがりすぎ」だの「こうじゃなくて、もっとこういう話が読みたいんだよ」とか言ってくれる(自分だが)。
で、素早く方向転換する。これを延々繰り返していくことで、ようやく「そうそう、こういうのを読みたかったんだよ」と言ってもらえる(自分に)。
とてもアジャイル的でしょう?

※ちなみに、僕の本のプロダクトオーナーはかつての自分なので、全て、「転職前の自分が読んだら、夢中になって色々考え込んだり、仕事であれこれ試したりするハズの本」になっている。そこまで完成度が上がらなければ出さない。

良い点の最後は、書く時に苦悩が少ないことだ(上記のスライド参照)。
苦悩するのは、構成上書くべきなのに、書くことがないから。または書き上がった文章を自分で読んでみたらあまりにつまらなくて悶絶しているか。

これはネタがないのに無理やり書こうとするから起こる。
僕だって教科書を書く時は、最低限の骨子は最初に作る。でも「これで1節書けるな」と思って書き始めたら、意外と面白いことは書けなくて、半ページで言いたいこと言えちゃった、みたいな事はある。さっきも書いたように、手探りで書いているのだから当然だ。


でもウォーターフォールだったら、最初の骨子は守らなければならない。そうしないとぐちゃぐちゃになっちゃうから。ネタも無いのに10ページも書くなんてナンセンスだしツラい。あと、そんなものを読まされる読者の身になれよ。

その点アジャイルだと、書くことがないことに気づいたならば、そのパートは書かなければいいだけ。石がないのに組み合わせて石垣を作るのは無理だから。
もし半ページだけ書けたなら、他のコンテンツとうまく組み合わせて活してもいい。

ネタ集めに並んで、アジャイル文章術のもう一つの肝は「集めたネタの組み合わせかた」なのだが、長くなってきたし、これについては師匠の本を読んでもらったほうがはやいので、ここでこれ以上語るのはやめておこう。
何れにせよ、アジャイル文章術(自然石構築法)、おすすめです。

※リンクを作るためにAmazonのこの本のサイトに行ったら、書評の評価がめちゃ低くて憤慨している。「ブログ術のようなもの」だの「内容が薄い」だの。ばっっかじゃないの?

このブログで書いたように、これは単なる文章術の本ではなく、「既存のウォーターフォール文章術に対するコペルニクス転換的なコンテンツづくりの指南書」なのに・・。
まあ、本からどんな天啓を得るかは人それぞれなので、オレが怒っても仕方ないのだが・・。
別にどんな書評がつこうともその本の価値が損なわれる訳ではなく、評した人の読む力が露呈するだけなのだが・・。
僕にとっては人生を変えてくれた本なので、我を忘れてしまった。

※もう少し冷静になって見たら、僕と同じ様に読んで絶賛している人も何人もいたようで安心しました・・。
※あと、ポジティブな書評のなかにバーバラ・ミントの「ピラミッド構造で文章を書く」に触れている人がいました。このブログで書いたウォーターフォール文章術の原型の一つはたしかにバーバラ・ミントかもしれない。あの本、つまらなすぎて僕は途中までしか読んでないし、全くなんの影響も受けていないけど。

***********関連過去記事
ワインバーグ、あるいはもっとも偉大なコンサルタント
https://blogs.itmedia.co.jp/magic/2018/12/post_55.html

クリエイティビティとモチベーションの深い関係、あるいはアイドリング思考について
https://blogs.itmedia.co.jp/magic/2019/06/post_66.html

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