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オリンピックに欠けていた2つのこと、あるいは「良い仕事をさせる技術」について

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基本的にスポーツ観戦が好きなので、始まってしまえば結構テレビを見ているし、楽しんでいる。だが同時に「せっかく五輪というプロジェクトに投資するなら、もうちょっとうまくやれるのでは?」とも思ってしまう。
日々プロジェクトの成否を考えている立場からすると、今回の五輪に2つのものが欠けていると思う。

★欠落1:綺麗事ではないゴール
今回の五輪では、招致活動から今に至るまで、多くの思惑が飛び交っていた。
a)東北(特に福島)の復興を世界にアピールしたい。いわゆる「復興五輪」
b)様々な土木建築によって金回りを良くして景気を良くしたい
c)多くの観光客を呼んで、インバウンド特需をもたらしたい
d)観光客に日本の良さを知ってもらい、今後も継続的に日本に来てもらいたい
e)(開会式などを通じて)日本文化をアピールしたい
f)日本が立派な国であることを内外に示したい
g)目の前で最高峰のスポーツを見て楽しみたい
h)日本のスポーツを盛り上げたい
i)アスリート達に最高の競技環境を提供したい(アスリート1st)
などなど。

僕自身は
g)目の前で最高峰のスポーツを見て楽しみたい
が9割だ。純粋な観客目線。
だからかなり抽選にエントリーして、チケット4枚持っていたのに。しくしく。

思惑の中には最後にあげた「i)最高の競技環境」みたいに、もう言った瞬間、建前でしかないものもある。7月下旬の東京でどんなに頑張っても、そんなもの用意できないことは誰でも知っている。これを本気で言っている人がいたら、相当寝ぼけた人だ。
一方でc)やd)など、観光への期待は、多くの人が本気で思っていたと思う。

あと、誰も声高には言っていないけど
f)日本が立派な国であることを内外に示したい
を潜在的に考えていた人は結構多いんじゃないかな。そこに期待があったからこそ、開会式がショボイとか、開会式のディレクターが過去にやらかしていた、みたいなことがあると「国の恥」みたいに本気で怒る人が多かった。
僕自身は日本が他国からどう思われるかなんて、ちょっとしか気にならないけど、ほとんどの人にとっては、もっと大事みたいですね。

で、僕が気になっているのは、この様に沢山あるプロジェクトゴールのなかで、どれがお題目でしかなくて、どれを本気で目指すのか、プロジェクトのコアメンバーにコンセンサスはあったのだろうか?ということだ。
多分ないですよね。日本人が事を起こす時に、そういう「そもそも論」を議論する習慣がないから。普通はそんなことをガチで明らかにせずに、ぬるぬると阿吽の呼吸とやらですすめていく。
だがそういう状態は混乱の元だ。
a)やi)みたいに建前に近いものが、中途半端な形で残り、でも実際には蔑ろにされることはよくある。だがそうなると期待していた人々は裏切られたと怒り出す。

環境の大きな変化にも弱い。例えば今回、コロナウィルスに世界が覆われたこととオリンピックを開催することについて、何がどう優先であるべきかは不明確だった。
結果的には
「赤字にしないこと」
より
「海外から観光客を呼ぶこと」
より
「世界に恥をかかないこと」
より
「最低でも競技を成り立たせること」≒「日本国民の健康」
みたいな優先順位だったようだ。
これ自体には僕もあまり異論はないのだが、こういったことを、リーダーにあたる人々がもっと速やかに宣言していたら、もう少し携わる人々が自分の持ち場に集中できていたのではないだろうか。
本来ならば去年の4月くらいには、新しいゴールや優先順位が確立しているべきだった。あの不確実な状況下では「正解の優先順位」なんて誰も分からないが、その時々の方針を明確にしておけば、大勢の人が同時に動く際のちぐはぐさはもっと防げた。
でもそれを明確にするためには「それ、建前じゃなくて本当に目指します?」「○○に比べて本当に重要ですか?」みたいなエグめの議論をしなければならない。ほとんどの日本人はそういう議論が大嫌いだ。だから避ける。避けていては本当に良いプロジェクトは作れないのに。

企業でやる変革プロジェクトでも、「綺麗なゴールは掲げられているが、本当のところ何が大事なのか、全くクリアじゃないため、現場が混乱する」という状況をよく見る。企業でこれをやると何千万、何億もすっ飛ぶし、お国と違って税金で補填もしてくれないから、ほんとヤバイ。

なお「単なるお題目ではなく、ずっと意思決定に使えるプロジェクトゴールづくり」は本当に大事なので、僕は本を書く度に、具体的には「業務改革の教科書」「リーダーが育つ 変革プロジェクトの教科書」「システムを作らせる技術」の各本で、少しずつ確度を変えながら説明してきた。参考にして欲しい。



★欠落2:よい仕事をしてもらう技術
プロにいい仕事をしてもらうのにも、技術がいる。
僕は建築家に家を設計してもらった時に実感した。
腕の良い建築家を選ぶ選球眼も必要だし、限りのある予算をどう配分するかの方針も、施主の意思が反映される。壁にいい材料を使って断熱性能を重視するのか、見栄えの良い内装が大事なのかは、結局の所は施主の価値観次第だから。

こういう「プロに良い仕事をしてもらう能力」って、一般的になんて呼ぶんでしょうね。オーナーシップとかスポンサーシップという言葉が思い浮かんだけど、それぞれちょっと違う意味で使われているし。


東京オリンピックの開会式の良し悪しについては議論があるが、開会式を「日本から世界に向けたメッセージショー」と捉えるならば、出来は良くなかったと思う。
内容以前に、多様性を軽んじる社会だというメッセージを世界に発信してしまったのだから。ショー自体も一貫性にかけるツギハギ的な印象を受けたし。

そしてその原因をあえて
・ショーの演出家や出演者の側

・演出家や出演者に仕事を依頼する側
に分けて考えるならば、前者がイケてないからではないだろう。。

報道によるとそれ以前の問題だったようだ。アレやコレやの思惑で総合演出が交替させられたとか、偉い政治家の個人的な思いつきで演出をねじ込まれたとか。

プロフェッショナルを雇い、良い仕事をしてもらうには技術がいる。
開会式の場合は、
・お金の算段
・どんなメッセージを込めるか、どんな場にしたいか、というコンセプトを伝える
・プロの選定
・選んだプロには基本的に任せる
・外部からの横槍からプロを守る
あたりが、仕事をさせる側に求められる。
今回のオリンピックの一連の騒動を見ていると、ここの部分が圧倒的に下手っぴだ。

例えば「政治家の個人的な思いつきで演出をねじ込む」をなぜしてはいけないのか。
それはその政治家がショー演出の素人だし、想定観客でもないからですね。当たり前のことだ。でもやってしまう。これは典型的な「プロに仕事をさせる技術」の欠如である。

同じことは企業におけるプロジェクトでもよく起きてしまう。
ある会社では、斬新なチョコレートの包装を提案した社員に対し「そんな包装では売れない」と役員たちがダメ出しをしたそうだ。でもその社員さんは見事に「あなた達のような中年男性向けの商品じゃないですから」と言い放ったらしい。完全な正論だ。
でもこんな胸のすくようなことって実際には、レアケース。実際にはデザインの勉強もしたことがない中年男性が、女子高生向けの包装の良し悪しを決めてしまう。


エンジニアではない人が望みどおりのシステムを手に入れるための本「システムを作らせる技術」では、ずっと「エンジニアに丸投げしてはいかんよ」というトーンで書いた。
だが一方で、検討する内容によっては「これはプロでなければ判断できない」「別のエンジニアからセカンドオピニオンをもらうのも有効」なども結構書いた。
この記事で強調したように、その領域における自分の無能さを自覚するのは、「プロに仕事をさせる技術」の重要な一部なのだから。



************関連過去記事(プロフェッショナルの選び方)
「オレンジジューステスト」を使ってみた。あるいはサービス業の良し悪しを見分ける方法

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