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五輪で国力衰退が表面化したと嘆いているあなたに、あるいは親のスネの終焉

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オリンピックが始まった。「オモテナシ」のスピーチが今思えば絶頂で、その後は本当にがっかりするようなことばかり起きた。
「この時期の日本は温暖でアスリートにとって最適な気候」と招致のときに嘘をついたのも自分の国として本当に恥ずかしかった(すぐにバレる嘘だし)。
国立競技場をめぐるドタバタなんていうのもあった。そう言えばオレもブログに書いたな・・と思って検索したら、ちょうど6年前の記事だ。
改めて読むと「システムを作らせる技術」にも通じる、いいこと書いてありますね。

国立競技場で学ぶヤバイプロジェクトの作り方、あるいはプロジェクトを立ち上げることの困難性

そして開会式直前になって作曲担当が発表されたとたんに、犯罪的なイジメや障害者差別をしていたと、騒ぎになった。本当に最後まで気を抜けない。これなんかは人選をする時にオリンピックのコンセプトに沿っているかをチェックするのが漏れていたんですかね?ちょっと普通なら考えられないミスだ。
もちろんコロナとの関係もあるし、僕のように普通にスポーツ観戦が好きな人にとっても、素直には開催を喜べない。

情けないこと、だらしないこと、がっかりするようなことがあまりに起こるので、ネットでは「日本の国力がここまで落ちているとは・・」という声がすごく大きい。


だがちょっと待ってほしい。
オリンピックが表面化させたのは、国力のほんの一部である「国家主導力」みたいなものが完全にポンコツだ、ということだけだ。
つまり国が旗を振って、一大イベントをぶちあげて景気の起爆剤にしたり、通産省が重点育成産業を決めて集中的に投資したり、そういう国家がリードして経済を盛り上げていく力は、完全に当てにならないということ。
それについては、今回のオリンピックでたしかに明らかになった。なにもかもがあまりに稚拙だった。

だがそもそも、そういう国家主導で経済を発展させる手法って1964年当時の日本が大得意にしていたってだけの、発展途上国用の手法だ。

その手法がもはや国情に合わないことは、今回痛いほど分かった。
オリンピック開会式に適したミュージシャンを選ぶなんていう、些細なイベント企画力もポンコツだし、国家主導の企画に、国民は盲目的に協力しなかった。良くも悪くも。
(北京オリンピックで似たようなことがあったとしても、ここまで総叩きみたいな構図にはならなかったんじゃないかな。国家主導のイベントに異議を唱えること自体がリスクだから)。

上記のブログで書いたように「巨大建造物を作らせる技術」もポンコツだ。
オリンピックだけではなく、Cool Japanとか言って、国家主導で海外に日本文化を買ってもらおう、という試みも全く上手く行っていない。
とにかく「国家が主導して・・」と言った瞬間に、うまくいく気がしないのが今の日本だ。

でもそういう力が大事なのは、旧ソ連みたいに「国家=経済活動」の共産主義国とか、前回東京五輪や北京五輪の時みたいに「国家がでかいことぶち上げて、発展に勢いつけるでー」という時だけだ。
今の日本みたいに経済発展が一段落した国で大事なのは、国家によるぶち上げではなく、民間が自主的にエキサイティングなことを始めるかとか、成熟した文化を発信できるかとか、そういうボトムアップ的な力の総和でしょう。


僕は根っからのオリンピック反対派ではないので、これを機にたくさんの外人さんが来日して、「スシやラーメンだけではなく、トンカツやオコノミヤキもうますぎる」
とか
「もう、なしではいられないのでウォシュレット買って帰る」
とか
「フィギア屋さんに行って夢のようだった」
とか言いながら、ニコニコ顔でお国に帰ってほしいなぁとか思ってましたよ。でもコロナと、アテもないのに1年しか延期しなかったミスジャッジによって実現しなかった。
とても残念だ。そういう「来てもらって初めて分かる良さ」も、成熟した国の国力だと思うから。だが、だからといって、そういう意味での国力まで、今回のオリンピックで否定された訳ではないでしょう。


そもそも、みんなちょっと「お国」に期待し過ぎなんじゃないですかね?
もしかして、お国に景気を上げてもらおうとか思ってませんか?
もしかして、お国に日本文化を発信してもらおうとか思ってませんか?
もしかして、お国に日本企業の宣伝をしてもらおうとか思ってませんか?

それって、いい大人なのに「ママがお小遣いくれない」と文句言ってる人みたいじゃないですか。1964年当時と違って、日本経済はとっくに大人になったはずでしょう。
政府への期待が高すぎると思う。
大人なんだから、自分の持ち場でやれることたくさんあるはずだ。


近年でいうと、政府のデジタル化の遅れを嘆いているばかりの人も同じだ。
もちろん僕だって「せめて台湾みたいに、民間のシステムでも使える、国民をユニークに識別できる番号くらい用意してくれよ」とか「確定申告のシステム使いづらい」とか、思いますよ。
ベンダーに仕事を依頼する際にヤクザまがいのコミュニケーションするのにもうんざりだし、脅されたらすぐさま何億円も値引きしても痒くないほど、特定のSIerをボロ儲けさせていることにも、一人の納税者としてうんざりしている。

でも、民間に比べて政府がその手の仕事が下手っぴなんて、当たり前じゃないですか。市場の競争で磨かれていなんだから。だから政府のデジタル改革に大きな期待なんてしない。うまくいったらラッキーという程度のものだ。

政府には期待していないので、「オリンピックは日本が衰退した証拠だ」と嘆いたり、政府のデジタル改革についてTwitterで文句を言う代わりに、僕は本を書いた。
今の日本にとっては、国家がイベントをぶち上げてくれるのを待つよりは、民間企業がうまくシステムを作れるようになる方が大事だと思うからだ。
僕が世の中を変えるには、国家に文句言ったり、衰退を嘆くよりも10000倍建設的だ。


民間セクターで働くあなたが、国家のスネをかじる時代は30年前に終わっている。
今回のオリンピックは、あなたが期待していた親のスネが、もう骨しかないことを、完璧に示してくれた。
もう祭りは終わりだ。目を覚まして自分でできることをやろう。

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