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国立競技場で学ぶヤバイプロジェクトの作り方、あるいはプロジェクトを立ち上げることの困難性

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国立競技場のプロジェクトと「終わらないIT構築プロジェクト」は似ている。


★部外者からは理解できない値段。そして納得いく説明がない

いま書いてる本のテーマの1つは「なぜシステムは直感に反するくらい高いのか?」である。システムの価格は直感よりも必ず高い。作っている本人ですらそう思う。
そして、誰もが思っている通り、国立競技場が2500億というのも気が狂いそうなほど高く感じる。僕がよく行く埼玉スタジアムは約360億。あれだって見栄え重視のかなり贅沢な作りで、コスト重視で建てた250億くらいのスタジアムも多い。その10倍って・・。

屋根にいくら掛かるとか、そういう話は出ているが、肝心の「なぜ我々は2500億かけてでも立派な競技場が必要なのか。1000億しかかけないと何が起こるのか?他の投資よりも優先度が高いのか?」といった分かりやすい説明は、当事者からは全く聞こえてこない。



★有識者会議という謎会議でことが決まる

今回に限らずこういう場合の有識者ってたいていは、出世した偉い人(大会社の社長とか)が、畑違いの団体のボスになって、さらに個別テーマの有識者として選ばれるのが通例ですよね。だから別に「知識を有する」という訳ではない。

そして、もし知識を持ってたとしても、有識者会議で意思決定するというのはナンセンス。有識者というのは単なる情報提供者であって、意思決定者は別にいるべきでしょう。有識者はどこまでいっても責任を取れないんだから。
大きな投資を決断する時に一番必要な人は、有識者じゃなくて、お金の責任を取る人。会社でのプロジェクトで言えば、事業部長や社長。
いくらコンサルタントが分析したりベンチマーク的に知識を提供したからといって、最後に意思決定するのはその会社のボスがやるしかない。責任をとれるのが彼だけだから。

そういう意味では、国立競技場の場合、本来は議会で予算審議すべきなんでしょうね。今現在は明示的に税金を投入することにはなっていないけれど(そういう風に皮算用を作っているから)、「国立」って言う以上、お金的に最後の尻拭いは国民の税金を使うしかないわけでしょう。だとしたら国民の代表が決めるしかない。
逆に文部科学省は、その責任を議会ではなくて自分たちで背負う覚悟があるのだろうか?(覚悟があってもお金は負担できないから、意味ないけど)



★誰も信じていない「収支予測」でことが進む
プロジェクトでも、費用対効果分析として、「費用はこのくらい、効果はこのくらい、だから4年で投資を回収できる」みたいなグラフを書きます。もちろん未来予想だから、いくらでも数字を盛ることはできるけど、プロジェクトをやっている人たちがそれを信じて指針にすることが大事だから、信憑性を重視して作る。

でも国立競技場の収支予測って誰も信じてないですよね。初期投資額が2520億から上振れしない気がしないし、ランニングコストの予測も、素人が見てもかなり甘そう。多分誰も信じていないけど、建前がないとプロジェクトが進まないから「みんなで信じることにする」という空気を無理やり作ろうとしている。
これはヤバイパターンだ。



★コンペの時の「概算見積」から大幅に上振れしても決定は変わらない

システム構築のベンダーを選ぶコンペをしたとしよう。
ベンダーA社の見積りが10億。
ベンダーB社の見積りが12億。
予算を少しでもセーブしたくて、A社を選んだのに、3ヶ月後にA社から出てきた確定見積には15億と書いてある。こういうことは残念ながら起きてしまう。

国立競技場はそれの酷いバージョンでしょうね。
「そんなにコストがかかると分かっていたなら、その案を選ばなかった」と言えばいいし、それに基いてプロジェクト計画を変更すべきだ。例えば設計をやり直し、ラグビーワールドカップに間に合わせるのは断念するとか。
でも、そういう「プロジェクト計画の大幅修正」の言い出しっぺになって、組織の方向を新しい計画に無理やり合わせるって、豪腕が必要なのに汚れ役だ。
だから、それをやろうと言える人が中々現れない。という訳で、全員が「計画を立て直した方がいい」と思っているのに、元の計画で突っ走ってしまう。

組織の本当の強さって、こういういざというときに、汚れ役を買って出る豪腕が何人いるか?で決まるんでしょうね。



★既に投資した少額にこだわって、計画を変えられない

国立競技場プロジェクトを主管するJSCは、計画を変えずに突っ走る理由として、
・設計のやり直しによる工期の遅れ
・解約するとデザインしたザハ・ハディド氏へ13億円を支払う必要がある
をあげている。

もう、既視感しかない。
2500億のプロジェクトを議論しているのに、13億を捨てる決断ができないアホさ。13億なんてくれてやればいい。その結果計画を見なおして、1500億で作れたらなんの問題もないはずだ。13億が無駄になったのは前回の選択ミスとして、反省するしかない。どちらにせよ、もう戻ってこないのだ。

そして「今更計画を変えると、スケジュールが間に合わない」というのも、問題が多いプロジェクトではよく聞くセリフ。でも、今回これだけ揉めているのは、今の計画がずさんなのが、根本原因だろう。
・時間が無いことを理由に、ずさんな計画で突っ走る
・一旦立ち止まり、計画を練りなおして再出発する
この2つの間で迷う時は、「後者の方が結局は早かったね」となるケースが殆んどだ。そしてそのことは、前者で突っ走ろうとして、にっちもさっちも行かなくなった時に、ようやく理解できるのだ。
プロジェクトは計画がダメだと、どう頑張っても上手くいかない。時間がないことを理由にずさんな計画のままスタートすると、必ず失敗するし、立ち止まって計画を練り直す時間は、あとで必ず元が取れる。



★現場の悲観的見通し。偉い人にはそれが分からんのですよ

多分、発注側も、工事を請負う側も、現場の人間はこのプロジェクトに対して結構悲観的な見通しを持っているだろう。本当は逃げたい。でもサラリーマンだからそういう訳にもいかない。辛いですね。
ITプロジェクトでも、現場の人に匿名アンケートを取ると「納期までに終わらない」「終わったとしても品質がボロボロ」に投票した人が8割だったりして、役員が肝を冷やす、という事が起こる。上と下とでは、見える景色が違うのだ。

そして、それを大声で言う人は疎んじられ、組織から排斥される。不健全な組織では。国立競技場の件だって、1年以上前から「いかに問題が多い計画か」という議論や専門家からの提言はあった。でも黙殺されてきた。1年間放っておいたのに、今になって「スケジュールが間に合わないから決行」とは、何を今更という感じですよね。



★完成するか?はいいけど、「完成して嬉しいの?」を問わない

どっから2500億ものカネを調達するの?というのが議論になっているが、「カネが何とかなったとしても、本当にあんなのを作って僕らはハッピーなのか?」という議論は後回しになりがちだ。今回で言えば、神宮の辺りの景観や、ランニングコストの高さやイベントでの使い勝手の悪さなどのテーマである。

プロジェクト計画づくりが混沌としてくると、「どうやったら完成させられるか」の議論に頭がいっぱいになり、「完成したとして嬉しいの?」という素朴な問いは封印されることが多い。こうして、死ぬ思いをして完成させたのに、誰も喜ばないITシステムが完成することになる。



★プロジェクト計画の難しさへの理解がない

色々偉そうに書いたが、「プロジェクト計画を立てる」って、異常に難しい仕事だと思っている。今回の国立競技場の件だって、誰の意見を聞けばいいのか分からないし、何をゴールとすればいいのかも分からない。どうやったら「組織としての決定」と言えるのかも分からない。プロジェクト計画を立てるには、ものすごく難しい状況と言える。
一番の問題は「プロジェクト計画をたてる仕事が異常に難しい」と当事者達が認識していないことだろう。はっきり言えば、なめている。全てはそこから始まっている。


僕個人としては、「プロジェクトは難しい。その中でもプロジェクト計画が一番難しい」とずっと思っている。そう思ってプロジェクト計画だけの教科書を書いた。

この本は原稿を全て書いてから、出版していただく出版社探しをした。その過程である出版社に企画書と原稿を読んでもらったら「プロジェクトの途中までの本なんて、売れない。うちからは出せませんねぇ」と言われてしまった。
「分かってないよなぁ、そこが一番難しいし、みんな苦労しているのに」と思ったし、一生懸命説明したけれども、どうしても理解してもらえなかった(僕の力不足)。
プロジェクトが難しいこと。その中でも立ち上げ・計画づくりが一番難しいことは、あまり知られていないのだ。


結局、僕らの本は1冊目を出してもらったのと同じ、日経新聞から出版してもらうことになった。そして2年で5刷までいったので、出版不況のなか、少し堅い本の割には上出来だと思っている。やはり本当にプロジェクトで苦労している実務家の皆さんは、プロジェクトの計画づくりの難しさを、身にしみて分かっているのだ。
今回の国立競技場の事例で、その辺りが世の中の新しい常識になるといいのだけれども。

★2015/12/4発売の新著

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