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「ちゃんとしていること」の限界について、あるいは平時と火事場

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先日とある中核病院に行ったら、コロナ外来専用の小綺麗なプレハブ小屋が3つ建っていた。病院がウイルス交換所にならないよう、接触を極力減らすために個別診療を考えた末に作られたものだろう。

それを活用した対応プロトコルもしっかりしていて心強かった。この辺はとても頑張ってくれている。テントでも良さそうなものだけど、実にちゃんとしてた。

そしてたまたま同じ日に、アメリカに住んでいるらしき方のツイートを目にした。

このツイートはワクチンについてのものだが、去年は公園にテントで野戦病院みたいなものを作って治療拠点にしていたニュースも見た。
この「60点でいいから、とりあえず機能する状態にするスピードが鬼速い」というこの方の感想は、僕が常々「こういう点はかなわんなぁ」と、アメリカに対して思っていることの一つだ。

完全に憶測だが、アメリカのこういう「ちゃんとしてないけど、ざっくりとでも目標を達成することを優先する文化」は、軍隊OBが軍隊外の様々な役割に登用されているからではないか。
というのも、戦場では「カオスな状況で、とりあえず目的を達成する」が大事だ。不完全情報だし、相手があることなので計画通りに進みにくい。局地戦でのリーダーシップ(拙著「リーダーが育つ 変革プロジェクトの教科書」参照!)をそれぞれが発揮して、「完璧ではないが、マシな状態にもっていく」ことが求められる。


おそらく、そういう「戦場で必要なマインド」を叩き込まれた人々が社会に一定数バラまかれると、この「60点が鬼速い」が当たり前の社会になっていくのだろう。

我が日本にも軍隊はあるのだから、同じことでは?と思う人もいるかもしれない。だが、そうはなっていない。
突然だが皆さんは「失敗の本質」を読まれただろうか?僕は生涯で何千もの本を読んできたが、「失敗の本質」はそのなかでベスト5に入る名著だ。日本軍の組織カルチャーがいかに敗北を導いたかを、ミッドウェー海戦やガダルカナル島、インパール作戦などの戦闘を通じてしつこく描いている。

この本から学べることは異常にたくさんあるが、ここで僕が強調したいのは、
「太平洋戦争の敗因となった旧日本軍の悪しき組織カルチャーのほとんどは、現在のありとあらゆる日本組織においても観察できる」
ということだ。文化というのは70年やそこらで変わるものではないようだ。
だから僕は「失敗の本質」を読まずして日本の組織に対するコンサルティングはできないと思っているし、別にコンサルタントに限らず、日本の組織で働くならば読んでおくべきだと思っている。

本題からズレまくるが、戦史に興味がない人のためには、似たような日本組織の悪しきカルチャーについては沼上教授の組織戦略の考え方」にこってり書いてあります。虎の威を借る狐現象、などなど。

さて。
なんでいきなり「失敗の本質」の話をはじめたかというと、おそらく日本の軍隊では「カオスな状況で、とりあえず目的を達成する」みたいなマインドを叩き込んでいないのではないか?と思うからだ。
日本軍の作戦立案は士官学校の超秀才が担っていたので、非常に緻密で丁寧に書かれていた。それ自体は一見素晴らしい。日本海海戦のように、その作戦が完璧に機能して奇跡的な大勝につながったこともある。

だが一般的には戦場はカオスなので、東京の会議室の想定と異なることばかり起こる。そもそも情報通信だって今よりずっと劣悪な中で戦争をしていたのだから。
したがって実際には緻密すぎる作戦は役に立たない。それどころか、現地の行動を縛るという意味で、害ですらあった。つまり現場に合わない硬直した作戦も、失敗の本質一つだった。

日本人は僕が見かけた「コロナ外来のためのプレハブ小屋」「コロナのためのプロトコルを整える」みたいな、ちゃんとした対応はかなり得意だと思う。ちゃんとルールをつくり、ちゃんとそれを守る。それができる、一定レベル以上の人材の質も強みだ。
これはもちろん素晴らしいことだ。

だが僕が心配しているのは、状況がもっと悪化した場合(例えば一時のアメリカ、イギリス。今のインドのように)の対応力だ。つまり戦争に似たカオスだ。
こういう状況で最適な(マシな)行動を取るのが日本人はあまり得意ではないと思っている。それは平時には美徳となるような、日本の文化が足を引っ張るからだ。


10年前の東日本大震災で避難所にボランティアに行ったときに一番印象に残っていることの一つは「人々の平等に関する硬直性」だ(もちろん、もっと美しいことやしんみりしたことも印象には残っているのだが・・)。
例えば、避難所に100人いたとして、「70個のアンパン」と「50個のみかん」は配ることができない。平等に行き渡らないからだ。
僕は雑な脳みそを持っている人間なので、「アンパンしかもらえない人と、みかんしかもらえない人、そして今回は両方もらえるラッキーな人がいたっていいじゃないか」と思うのだが、それは部外者の意見でしかない。そこでは「不平等なくらいならば、みんなで平等に食べられない方がマシ」という空気が支配していた。

日本の組織風土には、「ちゃんとしてないことへの不寛容」が非常に濃いように思う。「配るならば、ちゃんと平等に配らないと」みたいな。

最近始まったワクチン接種でも「余ったワクチンを、予約していない人に打つくらいなら、捨てたほうがマシ」ということが実際に起こり、担当大臣が慌てて柔軟な対応を求めたニュースがあった。10年前のアンパンと全く同じだ。

この「ちゃんとした教」は組織の至るところで観察できる。ビジネスの例も出そう。
企業で僕が最初にこれを実感したのは、新卒2年生で採用プロジェクトにいた時のことだった。

僕はプロジェクトの立ち上げメンバーだったのだが、1ヶ月後にプロジェクトに入ってきたメンバーが僕に突っかかってきた。オーガナイズされていないカオスな仕事っぷりが我慢できなかったようだ。僕はバタバタと学生さんに対応している間の立ち話で、そいつに「いや、火事場なんだからバタバタするんだよ」と言い放ったのを覚えている。25年後の今でも。
そいつはよほど憤慨していたらしく、その後もチームリーダーに不満をぶつけていた。

もちろん、その時の僕らの仕事っぷりはあまり褒められたものではなかった。なにしろ、チームリーダー以外は全員2年生で新卒採用チームを構成していたのだから、全てが手探りだった。にも関わらず、学生さんは大勢押し寄せるし、新卒採用はタイミングが命なので、立ち止まってゆっくり対応を協議している余裕はない。
今思えば会社がチームを立ち上げるのが遅すぎたのが問題だが、僕らメンバーとしてはそんなことを言っていてもしかたない。局地戦でリーダーシップを発揮して、バタバタ良かれと思うことをやっていくしかなかった。
つまり、ちゃんとした仕事の仕方をするよりも、とりあえず仕事を回すことを優先すべき状況だったのだ。実際にその時の採用チームは結果として、非常に良い成果をあげた。

一方で僕に突っかかってきた同期の気持ちも、今では分かる。
ほとんどの人にとって、良い仕事の定義とは、「ちゃんとしていること」なのだ。だから彼はちゃんとしていない状況が我慢できなかったし、彼なりの正義感で「ちゃんとしてないじゃないですか!」と訴えていたのだ。
だが本当は、良い仕事の定義は、ちゃんとしていることではない。本当は「ゴールに到達すること」「そのために、前に進めること」が良い仕事のはずだ。ちゃんとしていることは、ただの手段でしかない。
そして、ちゃんとしてることはカオスな状況では無価値なのだ・・。

このプロジェクトで少し余裕ができた時に、僕は改善する方法を探ってちょっとずつマシなオペレーションをめざしたり、翌年のためにデータを分析して綿密な報告書を書いた。どうでもいいことながら、文句を言っていた彼が状況を改善してくれた記憶はない。まあそんなもんだよな。

コロナ対応から10年前と25年前の思い出ばなしに飛んで、自分でも何の話か分からなくなってきたので、まとめよう。

・日本の組織文化では、「ちゃんとしていること」が尊ばれる
・それは平時では高い品質の土台となり、成果をあげやすい文化である
・ちゃんとしたオペレーションができることは、組織能力の証でもある
だが、
・戦時(カオス)になると、その文化はマイナスに作用する
・なぜなら、カオスでちゃんとを目指そうとすると、行動が麻痺して目的を達成できなくなる
・「ちゃんとしていること」は本来は手段でしかないが、それを目指そうとしてしまうから
・日本組織が苦手なカオスに陥る前に、コロナが収束してほしいものですね

*********************関連過去記事

カネカの件と僕の23年前の採用活動。あるいは会社が誠実であるということ

不測時対応計画あるいは日本軍の悪弊

*********************新刊「システムを作らせる技術」情報
1回目のゲラチェックを終え、編集さんに託し直したところです。
同時並行で、事例として載せさせていただくプロジェクトの掲載許可をいただくお願いをしています。なるべく本物の事例を使って、生々しい本にしたい、というのが僕の著者としての一貫したポリシーなので、避けては通れない大事な工程。
依頼された側は、前例がないことなので、対応に戸惑う会社がほとんどです。「特に問題はないと思うのだが、オレの権限でOKを出していいのか分からん・・」みたいな感じですね。厄介な話を持ち込んでいつも申し訳なく思います。。

そんなこんなで出版は7月になるみたいです。いつも思うのですが、出版社のプロジェクトマネジメントって結構ぬるめですね。期限が絶対な週刊誌、月刊誌だと、また違う文化なんでしょうけど。

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