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"超訳・君主論"の感想

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成毛氏によるマキアヴェッリの君主論の超訳本です。

私は、塩野氏の"わが友マキアヴェッリ"と"マキアヴェッリ語録"を読んでいますし、マキアヴェッリが説く理想的君主であるチェーザレ・ボルジアに関する"チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷"も読んでいます。マキアヴェッリの背景を良く知っていると君主論はさらに分かりやすいのではないかと思います。

君主論の中で以下の言葉が非常に心に残りました。

"決断力が無い君主は中立の道を選び、滅んでいく"

著者は家庭内の不和を中立で無い方法の解決策を提示していますが、集団や社会の関係だけではなくビジネスでも同じことが言えるしょう。

Appleの製品等は極端な製品が多いですが、好成績を挙げています。iPadではいろいろと無いですが成功していますし、iPhoneも登場したときは当時一般的なスマートフォンからすれば多くの機能がありませんでしたが成功しました。

日本ではいろいろな意味で中庸を重要視させる傾向があります。平和な時代ならば良かったかも知れませんが社会・ビジネスとしてはいい選択ではないのではないかと思えてなりません。

人生をゲームとして見て君主論をそのゲーム攻略本として読むことを勧めるのは、著者のかなりユニークな発想です。ここまでユニークだと面白いと思います。人生に疲れたと思えば少し本書を読むのはいいことなのかも知れないと思わざるを得ません。

また、アカイアの君主フィロポイメンの常に戦争のためのイメージトレーニングの話と陸前高田市の長洞地区の対応等の常に備えることの有意義性に関して、著者は同様な話と位置づけて説明しています。

これはなるほどと思いながら超訳のいいところでは無いかと思います。君主論で扱っている例だけどは理解がしづらい面がありますが、もっと噛み砕いた昨今の例を挙げることで理解が進みます。古典ほど超訳が必要だと思うのはこのような補足があるほうが分かりやすいからです。本書はマキアヴェッリの言葉を並べるのではなく、より理解できる例で補足していますが、そこが本書のいいところだと思います。

マキアヴェッリが著作物は君主論だけではありません(オペラも書いていたはず)。戦術論も出していますが。確か出版当初は戦術論の方が売れたそうですが、現在は君主論の方が有名ですし、マキアヴェッリ=君主論でしょう。なぜ、そのようなことになったのでしょうか。

これは即時的に結果が出るものは瞬間的に人気もしくは評価されても、本質なことは時代を超えることができるのではないかと思います。

似たような逸話は他にもあります。中国戦国時代に商鞅という政治家が秦の孝公を説得させる話に帝、王、覇者とどんどん理想論から離れて、すぐに結果が出そうな話をすると孝公がどんどん乗り気になってきました。これはすぐに結果が出る話だったから乗り気にもなったのでしょう。

どうしても人間は即物的な行動を取ってしまうことは仕方ありません。それだけ結果を求められるのですから。ですが、本質から遠ざかればそれだけ廃れる・時代遅れになることも早くなります。このあたりはビジネスや技術的なことにも相通じると思います。

なかなか古典・原本を読むことは難しいものがありますが、超訳は読みやすいですが著者の考えが入りすぎる傾向はあります。ですが、取り掛かりとして読むことはメリットの方が大きいと思いますし、視野を広げる意味でも本書を手にとることをお勧めします。

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