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グローバル化する中で日本人はどのようにサバイバルすればよいのか。子ども×ICT教育×発達心理をキーワードに考えます。

時代劇「忠臣蔵」と四十七士・私考(後編)

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浅野内匠頭と吉良上野介

時代劇「忠臣蔵」と四十七士・私考」の続きです。

浅野内匠頭は今の兵庫県あたりを治める大名でした。「殿中でござる」の名台詞で有名になった松の廊下の事件で浅野内匠頭は切腹に。お家断絶になり職を失った部下たちは「主君への忠義」「仇討ち」をテーマに組織の意識統一していたようにも見えます。


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リスクが大きすぎると「仇討ち」プロジェクトから抜けてしまう人もいたけれども、最終的に47名は討ち入りをしました。結局、四十七士は幕府の命令で切腹しました。ハイリスクを承知で行った抗議活動だったようにもとらえられるかもしれません。リスクマネジメントの面から考えたら、組織論として新しい忠臣蔵が見えてきそうです。

忠臣蔵の物語を「サラリーマン再就職プロジェクト」のようにとらえれば再就職・失敗。でも、殉死? の悲劇性ゆえに世の中に何かを訴えかけ、みんなから惜しまれた。という想像ができるかもしれません。

以前 観たドラマの「忠臣蔵」だと吉良上野介が老獪で悪い人だったような演出をされていましたが、Webで検索した所、教養のある名君だったようです。

吉良上野介は江戸幕府で儀式や典礼を司る高家(こうけ)でした。身分も高いし、礼儀作法もわきまえたマナーの先生のような方だったようです。

まとめ

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なぜ浅野内匠頭が吉良上野介に恨みを頂いたのか詳細はわかりませんが、300年前に仕事上のコミュニケーションのスレ違いがあったようです。今も昔も「人前で他人に恥をかかせない」はとても大事なことだと考えています。

もし吉良上野介が浅野内匠頭に「仕事のミスを人前で恥をかかせられた」と思われなければ、名君としてさらに長生きできたのではないでしょうか。もちろん吉良上野介にとっていらつくだけの理由があったのかもしれませんが。

結局、日頃のお互いの小さな誤解の積み重ね恨みに。松の廊下の事件につながったのではないかと私見では思っています。社内のコミュニケーション、他社とのコミュニケーション取り方は今も昔も大事ですね。

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おわりに

「忠臣蔵」の47人の物語を現在の「会社組織の中のしがらみ」のようにとらえてみると、学べること、新たな気づきがたくさんありそうです。

ドラマの忠臣蔵を観るたびに、なぜか江戸時代の47士の仇討ち・再士官プロジェクトと会社組織で働くサラリーマンに合い通じるものを感じます。組織の中で生き、出世を願って働くという事は300年経っても変わらないのかもしれません。

編集履歴:2013.12.21 15:06 「時代劇「忠臣蔵」と四十七士・私考」の後半部分を別記事「時代劇「忠臣蔵」と四十七士・私考(後編)」として独立させました。同日15:14 見出し「おわりに」とイメージ画像を追加しました。

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