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グローバル化する中で日本人はどのようにサバイバルすればよいのか。子ども×ICT教育×発達心理をキーワードに考えます。

スティーブ・ジョブズ氏のようなイノベーターが日本でも育つためにはどんな環境が必要なのか

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はじめに

一昨日、スティーブ・ジョブズ氏のような人物が日本でも育つためにはどんな環境が必要なのだろうかと考えさせられた体験がありました。Skype対談会です。興味深いと思ったのは「■なぜ「第二のジョブズ」は日本から生まれないのか」の部分でした。

参考:[座談会]スティーブ・ジョブズ氏の死去と今後のIT社会 2011/10/30
※サイトが無くなっていました。 2012.12.12に注。

「■なぜ「第二のジョブズ」は日本から生まれないのか」を考えてみたら対立項になる「■どうしたら「第二のジョブズ」は日本から生まれるのか」が見えてくるかもしれないと思い、雑感をまとめることにしました。

※対談に参加された方は私以外、みなさん日本人の技術者の方です。

※私の発言部分はそのまま引用しますが、著作権の問題がありますので他の方の発言は上記のURLからご覧いただくということで話を進めたいと思います。

日本にスティーブ・ジョブズ氏は無理だとしても今後、本田宗一郎氏のような人物は出現しないのか?

片岡麻実: 本来のITはギークでクールな世界だったと思うのですが......。なぜ日本は3kなのでしょう?

これは前々から気になっていたことなのですが、日本ではなぜかIT業界の人の印象が「ITオタク」とか「研究者」「理系の人」「仕事が残業ばかりできつい」というネガティブイメージも大きいのではないかと思うことが多いです。

映画『ソーシャルネットワーク』のなかに若い技術者たちがクールなプログラムを作る競争をしていた箇所があったようなのですが、本来はプログラムを組むこと=ギークでクール&世界だったはず。なのに、なぜか日本では同じ事をしていてもオタクの扱いに......。

参考:ソーシャル・ネットワーク [Blu-ray]

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「技術力」と「コミュニケーションスキル」はなかなか両立しないという話を開発されている方から伺ったことがありました。確かにスティーブ・ジョブズ氏はプログラムは組めるけどウォズニアック氏と違ってギークな開発者ではなかったようです。

しかし、ジョブズ氏はカリグラフィー(フォントのデザイン)や禅など理系以外の分野にも興味を持ち、幅広い教養と関心をもっていました。彼の学問においての幅の広さがイノベーションを産み、美しくてユーザーフレンドリーなアップル社の製品を想像していったように考えられます。

もし彼が大学時代にカリグラフィー(フォントのデザイン)に関心を持たなかったらパソコンのフォントは1つだけだったかもしれません。もし彼がデザインに関心がなければ、パソコンはずっとMS DOSやLinuxのようにCUIでコマンド入力のままだったかもしれません。

彼が幅広い興味関心をNeXT社時代に色々試して失敗するという経験がなかったら、今のIT業界は技術者フレンドリーなDOSのパソコンのまま進化していった可能性も感じます。

文系と理系の交差点

『スティーブ・ジョブズ I』(講談社)にこんなセリフがあります。

「僕は子どものころ、自分は文系だと思っていたのに、エレクトロニクスが好きになってしまった。その後、『文系と理系の交差点に立てる人こそ大きな価値がある』と、僕のヒーローの一人、ポラロイド社のエドウィン・ランドが語った話を読んで、そういう人間になろうと思ったんだ」

ウォルター・アイザックソン・著、井口耕二・訳『スティーブ・ジョブズ I』(講談社) 4ページ9行目から引用

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ジョブズ氏は実の親から捨てられたことを心の傷として語っていますが、それと同じレベルで『文系と理系の交差点に立てる人こそ大きな価値がある』という言葉は鮮烈に彼を支配したのではないかと考えられます。もしもそうでなかったとしたら、彼は現実歪曲フィールドを駆使して完璧な製品/作品/工場をつくろうとはしなかった可能性が生じるからです。

もしジョブズ氏がウォズニアック氏のようにギークで魔法使いのようなエンジニアだったとしたら、Macintoshの内側に開発者のサインを謹告したり見えない部分にまで美しく仕上げるように要求しなかったでしょう。

参考:スティーブ・ウォズニアック 井口 耕二『アップルを創った怪物―もうひとりの創業者、ウォズニアック自伝

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アップル社の製品を商品ではなく作品と捉えていたからこその著者サインであり、アップル社の製品を作品として捉えていたからこそ、仏像のように一般の人からは見えない内部・背面にもこだわったのではないでしょうか。

ジョブズ氏が『文系と理系の交差点に立てる人こそ大きな価値がある』と発言したことはイノベーションにおいて重要なポイントになるのではないかと私見では考えています。

日本の場合は?

そこで私は対談で以下のような質問をしました。

片岡麻実: スティーブは文系と理系の境界線上にいたいと発言していたことがありますが、日本だとそういう意識が薄いのでしょうか?

対談に参加したみなさまの回答からすると、「日本ではそのような意識は薄い」「そのような教育はなされていない」という認識が一般的なのかなと感じた次第です。

片岡麻実: 日本は専門性が求められますが各分野を横断できる人材が必要なのでは?

に関しては「ひとつの分野で専門性を高めるだけでも一苦労。それに加えてその他も専門性を高めるのは困難」という認識が一般的なのだろうなと認識しました。

ジョブズ氏のように『文系と理系の交差点に立てる人こそ大きな価値がある』を実現できる場が日本の教育現場に今も今後も存在するようになれば、かつての本田宗一郎氏やスティーブ・ジョブズ氏のようなカリスマが今後、再び登場するのではないかと考えています。

※本田宗一郎氏のイノベーションに関しては対談の中で別な方がいろいろと解説してくださっていますので、そちらをご参照くださいませ。

「ジョブズ氏や本田氏のような人材は社会に余裕が無いと受け入れることが難しいのでは? 」という内容の意見を対談でいただきました。同様の意見はジョブズ氏が亡くなった際にTwitterに複数の同意見ツイートが流れているのを拝見しました。

出すぎた杭は引き抜けない?

対談の記事を読み返して感じたことですが、日本の企業が「出る杭は打たれる」「出すぎた杭は引きぬく」のループから抜けることが難しいのならば、社員が杭であるのをやめてトーテムポールや塔レベルになってしまえば良いかもしれません。

杭は引きぬいても抜いた人を重大な事故に巻き込みません。抜くための労力がかかるだけです。

しかし、抜きたいものが杭ではなくトーテムポールや塔レベルだったとしたら、抜く/倒すときも一苦労、抜けた/倒せたとしても周りを巻き込んでおもいっきり倒壊します。抜く手間が余計にかかるので、杭よりも抜くことが面倒くさくなります。

抜く労力に見合うメリットがあるかどうか、が問題なのだろうと思います。

「この人(トーテムポールや塔レベル)を引き抜いたら周りを巻き込んで我社も倒壊してしまう」と抜こうとしている人に意識させる域になれば、おそらくジョブズ氏や本田氏のようなカリスマ的な個性の強い人材であったとしても、たとえ社会に余裕がなかろうとも日本で存在できるかもしれないと考えました。

トーテムポールや塔レベルの人材とはなんなのでしょう?

「「この人(トーテムポールや塔レベル)を引き抜いたら周りを巻き込んで我社も倒壊してしまう」と抜こうとしている人に意識させる域になれば、おそらくジョブズ氏や本田氏のようなカリスマ的な個性の強い人材であったとしても、たとえ社会に余裕がなかろうとも日本で存在できるかもしれないと考えました。」
http://blogs.itmedia.co.jp/kataoka/2011/11/post-a0ab.htmlより引用

と、前編では私見を述べました。

技術者は高い技術、新しい技術を盛り込んで開発したくなってしまいます。しかし使う側にとって技術力・新しい技術かどうかはあまり気にならない点でもあります。

というのは「この技術を使っているなんてすごい」と判断するには、ユーザも技術への興味・関心・知識が必要になるからです。

パソコンを例にして考えてみます。

使う人にとって喜ばれるパソコンは

  1. 使いやすいUI(ユーザーインターフェース)
  2. 使いたい機能が必要最低限盛りこまれている
  3. サポートが充実
  4. 値段がお手頃

などの要素を兼ね備えているのではないか、と考えています。

サポートが充実していると喜ばれる」と書きました。ですが、本来はマニュアルを読まなくても使える製品であればサポートは不要になりそうです。メモリーの差し替えが簡単、簡単に改造できますなどの魅力があったとしても、初心者にとっては不要な機能です。

技術云々よりも直感的に使うことが可能なほうが買う人/利用する人にとって便利ではないでしょうか。値段が適正ならばユーザからさらに喜ばれることでしょう。

開発者がトップだとUIは後回しになりやすい?

対談の中で「開発者がトップだとUIは後回しになりやすい」という内容の発言がありました。

作る立場にたって考えてみれば「開発者が開発しやすい製品を作る」のがいちばん楽であり、作り手にとって心地よいのだろうと判断しました。

しかし、実際にパソコンを使うのは一般ユーザです。開発者が一般ユーザのために製品を作ることができるようにするには、技術もデザインもユーザの身になって考案して行かないと日本のIT企業はのちのち立ち行かなくなるのかもしれません。

ジョブズ氏は今、実現不可能でも欲しい物を企画し、製品化しました。対談の中では「技術者は実現可能なものでないと提案しない」という内容の発言がありました。これは大変おもしろい事実だと感じました。

おわりに

イノベーションは「新しい切り口で世の中をプラスに変えていくこと」だと認識しています。今、実現可能なものだけ製品化していった場合に果たしてイノベーションは可能なのか? という新しい疑問が生じました。

もし組織としてイノベーションしたいならば、技術者に加えて、パソコンに関して興味/関心、造詣がありながらも技術者とは別な切り口で考える人が必要になりそうです。

ジョブズ氏のように一人で全て兼ね備えることは難しいとしても、複数の人間が「三人寄れば文殊の知恵」を卑屈にならずに行える環境があれば、日本にもジョブズ氏や本田宗一郎氏のような人材は生きていくことが可能になるかもしれない。

世の中に余裕をもたせるのも、Edgeの効いたとんがった人材が日本に誕生するのも、教育のあり方次第ではないかと私見では希望を持ちました。

補足

今回は「スティーブ・ジョブズ氏のような人物が日本でも育つためにはどんな環境が必要なのだろうか」を雑感としてまとめましたが、他の方の影響を強く受けて書いている箇所もあります。

オリジナルな対談記事を見ていただいて、参加者のオリジナルな発言を観た上で判断していただけましたら幸いです。よろしくお願いいたします。オリジナルな対談記事は以下からご覧いただけます。

参考:[座談会]スティーブ・ジョブズ氏の死去と今後のIT社会 2011/10/30
※サイトが無くなっていました。 2012.12.12に注。

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編集履歴:2013.12.20 17:26 「スティーブ・ジョブズ氏のようなイノベーターが日本でも育つためにはどんな環境が必要なのか・私考」の後半部分を別記事「スティーブ・ジョブズ氏のようなイノベーターが日本でも育つためにはどんな環境が必要なのか(後編)」として独立させました。冒頭に前編からの引用を追加しました。同日22:17 イメージ画像を追加しました。

編集履歴:2012/1/9 参考文献を追加しました。参考:「日本にも複合分野を横断できる教育をしている場はあることはある」という話 の部分は一記事・一内容にするため別ブログに移動しました。2012.12.12 21:54 題名を「雑感:スティーブ・ジョブズ氏のような人物が日本でも育つためにはどんな環境が必要なのだろうか」から「スティーブ・ジョブズ氏のような人物が日本でも育つためにはどんな環境が必要なのだろうか(雑感)」に改めました。2013.11.29 21:19 題名を「スティーブ・ジョブズ氏のような人物が日本でも育つためにはどんな環境が必要なのだろうか (雑感)」から「スティーブ・ジョブズ氏のようなイノベーターが日本でも育つためにはどんな環境が必要なのか ・私考」に改めました。編集履歴:2013.12.20 17:26 「スティーブ・ジョブズ氏のようなイノベーターが日本でも育つためにはどんな環境が必要なのか・私考」の後半部分を別記事「スティーブ・ジョブズ氏のようなイノベーターが日本でも育つためにはどんな環境が必要なのか(後編)」として独立させました。同日17:34 見出し「文系と理系の交差点」「日本の場合は?」「出すぎた杭は引き抜けない?」を追加しました。句読点と誤字脱字を修正しました。同日17:42 題名を「スティーブ・ジョブズ氏のような人物が日本でも育つためにはどんな環境が必要なのだろうか(前編)」に改めました。同日22:13 映画『ソーシャルネットワーク』『アップルを創った怪物―もうひとりの創業者、ウォズニアック自伝』のAmazon画像を追加しました。2015.10.8 21:52 前編と後編を統合し、題名から(前編)を削除。

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