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知っている人は知ってるが、やっぱり殆ど知られていないWIN-JというBSデジタルラジオ局。昨年11月に事実上停波していたのですが、ここに来て遂に総務省が動き出したようです。
総務省報道資料 9月12日
World Independent Networks Japan株式会社の委託放送業務の認定取消しに関する電波監理審議会諮問
NIKKEI NETなどでも報道されていますが、かなり複雑な経緯を持ったこの放送局、遂に息の根が止まるかも知れません。元々St.GIGAとしてスタートしたラジオ局で、非常に高品質な環境音や音楽放送を会員制でサービスするというのが特徴でした。
そもそもBSデジタルラジオはビジネスとしては非常に苦しい分野
かつて両手に余るほどのBSデジタルラジオ局がありました。私の記憶が正しければ現在存在しているのはこのWIN-Jを含めて3局しかありません。淘汰されてしまった経緯は各局ともかなり複雑なので多岐にわたる事から簡単に説明しづらいのですが、一番判りやすい理由の一つは多くの場合有料でラジオを聴取するリスナーを確保できず採算ベースに乗せることが出来なかったということかもしれません。
ラジオの興隆
私自身はラジオが大好きです。かれこれ20数年間PCのディスプレイを睨み続けていますから、正直家に帰ってまでテレビを凝視したくないという気持ちがあります。殆ど絵が動いて声が出てくる蛍光灯みたいな存在です。方やラジオは可能であればつけっ放し。車に乗っている時間の大半もラジオです。よく聴く局は決まっているのでウチの子供二人はジングルを放送にあわせて合唱する始末。それこそオールナイトニッポンやヤングタウン、たまには落ち着いてラジオ深夜便を聴きながら受験勉強した年代ですので、やっぱりラジオには思いいれがあります。
でも現状ラジオ局が儲かるビジネスかと言うとそうでも無いのも事実で、各局とも色々と苦労しているようです。それに輪を掛けてBSデジタルラジオは大半が有料であったり、専用の受信機が必要だったりして結局儲かるビジネスとはならなかったようです。放送局にもよりますが、実はCDと遜色ないデータがそのまま電波で飛んでくるところもあり、それをDATか最低でもMDに録音して、必要であればCDに焼いて・・・ 実はココに強烈な壁があるわけです。たとえばDATなんて普通の人は持ってませんから。大体お店でCD買えばよい訳で、それを上回る何かがなければわざわざ機材を買って有料放送から録音してなんて手間を掛ける人は居ないんじゃないかと思います。
St.GIGAの挑戦
現在のWIN-Jは、元々St.GIGAとしてスタートした放送局の放送免許が流れ流れていったところといえます。最初のSt.GIGAは「音の潮流」という、一種の環境音(環境音楽ではないです)の放送に最大の特徴を持っていたと記憶しています。これは世界中の色々な場所の音を録音してそれを放送するというもので、たとえば有線放送の一つか二つのチャンネルで流れているようなものをBSラジオ局のコンテンツの目玉として流していたものです。
予算もある程度潤沢にあった開局当初からしばらくの間制作されたこれらの音は素晴らしいものでしたが、結局有料会員が採算ベースに乗るまで増えず、その後放送権が二転三転したのちに現在のWIN-Jとなり、それも昨年の11月に停波してしまいました。
そして、今回の総務省の発表です。
電波行政は総務省の許認可
海外では周波数はオークションにより利用権が決定するケースが多く見られますが、日本の場合には放送も通信も全て許認可の対象です。たとえばテレビ放送の地デジ移行に伴って空き地となる周波数帯や、それこそ今盛んに報道されている2.5Gヘルツ帯の話などですね。無線LANでも日本国内で利用認可されている周波数帯は決まっていますから、海外の機器を持ち込んで勝手に使ったりすると色々と面倒なことが起きます。たまに軍用の通信機材が日本国内の無線通信に対して影響を与えているような事象も起きていたりしますが、米軍の機材については取り締まり出来ないというちょっと複雑な事情もあったりします。
放送権は営業権みたいなもの
因みに現在話題になっている周波数帯以外にも幾つか新たなアサインや転用が噂されているところがあります。それらの周波数を誰が狙っていて、何をやろうとしているのか、何か私達が直接享受できる利益があるのか・・・ いろんな人の思惑が絡むので一概には言えませんが、たとえば今回のWIN-Jのケースで言うと、放送権(営業権と理解しても良いかもしれません)と同時に保有する放送素材の著作権や利用権などが絡むとても複雑な利権構造を持ったものです。
やっぱり放送免許剥奪となるのだろうか?
過去の事例として、放送免許自体が取り消されたケースは殆どありません。大抵はどこかが事業自体を継承する形で整理統合されてきましたが、WIN-Jの場合には放送に使っている衛星のトランスポンダーや課金システムの問題も絡んで単純に誰かに継承できない状況です。「音の潮流」という番組(というか素材)、どこかの島の波打ち際だったり、どこかの森の音だったりと、見事な癒し系の内容でした。実は私自身、存在は知っていましたが、元々有料のリスナーではなく、ケーブルテレビのサービスに含まれていたラジオ放送のメニューの一つとして聴いていました。アナログに一度変換されていましたが、FM放送に比べても格段に綺麗な音(に聞こえてました)の放送には随分と癒されました。でも、それも昨年の11月に停波してしまっていました。
ラヂオの時間
高校の時に放送部に所属し、NHKの高校放送コンクールに一生懸命放送劇(当然ラジオ番組です)などを応募していたほどの自分としては、ラジオの世界が大好きです。田舎のおじいちゃんの家にあった5球スーパーのラジオの真空管を触って「熱い!」と驚いたのは小学校低学年の頃。三谷幸喜さんが監督したラヂオの時間を見た時に本気で腹を抱えて大笑いできたんですが、やっぱり今のラジオはメジャーなメディアでないのは事実。音声放送ということで言えばインターネットラジオもありますが、PCで聴くのは気が進まない。何しろ自宅のNote PCはつけっ放しにすると、昔の真空管ラジオ並みに熱くなりますし。
ボケーっと聴ける。
時々時報が流れる。
天気予報が流れる。
チャートに乗っかった局も時々かかる。
ジャンルごとに区分けされた音楽が流れっぱなしのまるで有線放送みたいなインターネットラジオじゃなくて、ちゃんと構成が編成されたラジオ放送がいつまでも存在することを切に望む今日この頃です。
業界の中、石を投げればOBに当たるといわれる企業ってどこよ?という話が酒の肴になることがあります。前のエントリーでIBMを辞めた時の話に触れましたが、その後でITproの2007/09/07付けのこの記事に目が留まりました。
富士通経営執行役の相次ぐ退社の波紋 落ち目のIBMに代わり流出の宝庫に?
私自身は単に居所が無くなって辞めたヘッポコですが、確かにIT業界を中心に日本の多くの企業にIBMのOBの方がいらっしゃるのは事実で、各企業の経営層まで含めて多くの方が活躍されています。でもこの記事にあるような当時の椎名社長の強烈な日本化の流れがどうだったかについては、その場に居合わせましたから判る部分はあります。私自身はある程度海外と切った張ったのやり取りが発生する部門を幾つか経験しましたが、一般的な営業部門では英語がわからなくても日常困ることが無かった時代が結構あった記憶があります。
(でも最近の日本IBMの事情は良くわかっていません。すいません。)
Sell IBM to Japan, Sell Japan to US
うる覚えですが、この言葉は当時の椎名社長が頻繁に口にしていたと思います。確かに勢いがあったし、日本から海外に向けて発信できることは(多分)結構ありましたから、この言葉が強く心に響いた記憶があります。そういえば、当時マルチベンダー(死語ですね)のお客さまから「IBMの営業は国産メーカーの営業より余程日本的な動きをする」というコメントが結構あったような記憶もあります。盆暮れの付け届けや、宴会・接待での立ち居振る舞い。良い悪いは別にして、そうやって日本でのビジネスを転がしてきたのが当時の日本IBMだったような気がします。
(でもやっぱり最近の日本IBMの事情は良くわかっていません。すいません。)
で、この記事の内容ってどうよ?
すいません。実は富士通の方、および富士通出身の方は殆ど知りません。よってもって実際にどうなのかコメントする立場に無いかもしれませんが、少なくとも富士通ブランドで海外に色々な形で進出し、海外の企業と提携し、様々なビジネスを展開してきた流れ自体はある程度知っているつもりです。そして「そういった流れの中に居た方が富士通から流出し始めている」ということが記事になること自体、状況が変化しているのだなという印象を持ちます。ただ気がついたのが、少なくともこの記事で触れているお二人が富士通ブランドを持った企業に勤めながら日本でのビジネスの経験が非常に少なそうだということです。グローバルな視点を持って日本もしくは日系の企業で仕事をしようとしたとき、その視点が結局どこかで邪魔になってしまったのだろうかとも思ってしまいます。
(すいません。そもそも富士通さんの事情はわかっていません。)
グローバルな視点が生きる仕事、不要な仕事
「ビジネスの場においてグローバルなモノの見方を持ちつつ日常はドメスティックな活動をすることが重要」みたいなことを言っている人が居たような気がします。もちろんグローバルな視点を持たないとどこかの業界のように井の中の蛙となってしまう危険性が非常に高い訳ですが、その視点がj結果的に邪魔になってしまい居場所が無くなる=流出を許すような結果を生む危険性があるということも言えるんじゃないかと思います。
最終的には組織が個人に対して「何を求めるのか」、あるいは「どこまで許容できるのか」によるんだとは思うのですが、これが個人と組織のお互いにとって不幸なことなのか、一方には幸せなことなのか、あるいはお互いに幸せなことなのかという結論は時間が有る程度経過しないと解らないことです。
ところで自分はどうなのよ?
仕事の全部ではないにしろ、ある部分については「グローバルな状況を見つつドメスティックに活動する」ことを求められているようなので、何とか応えようと努力はしてる・・・つもりになっているだけでは駄目なのは百も承知なんですけど、どうも腰砕け気味。夏休みボケを理由にできないくらい涼しくなってきました。他の言い訳を考えないと怒られそうです。
(そんな理由を考えていること自体、怒られる原因ですが)
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