Report on Japan's infrastructure topic on weekend.
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最近仕事でデジタルサイネージまわりをうろうろしているので、関連動向などが気になります。先日もミッドタウンの館内のIPTVで、ふだんは同ビルの館内ガイドかイベント告知のコンテンツしか流れていないところに、いきなり、サントリーのプレミアムモルツのCMが流れてきて「おぉ」と思ってしまいました。(TVで流れているのとは違う雰囲気が…とは言ってもTVを見ていないので自信なし→と書いていたら、サントリーのサイトで同じCMが流されていることが判明。けっきょくTVCMがそのまま流れていたのでした)
どういうことかと言うと、米国のデジタルサイネージ界では、TVCMよりも流通小売店舗内のデジタルサイネージでCMを流す方が費用対効果が高いという数字が流通しているようで(参考リンク)、これは早晩日本にもやってくるのかな、と思っていたところ、ミッドタウン内のIPTV(=デジタルサイネージそのもの)でサントリーのCMが流れたので「おぉ」と思ったわけです。考えていたことが、現物としてそこに出てきたから。
とは言っても、米国では「商品がすぐその場にある店頭」でCMを流せば消費者の脳裏に鮮やかに残っているので(忘れるわけがないので)、すぐ脇にある商品に手が伸びる、という論理に立っていて、その観点で見ると、ミッドタウンのIPTVでプレミアムモルツのCMが流れてもすぐに買える状況にはなく、どうなのかな、という気がしたことは確かです。
それでもまぁ、珍しい露出の仕方だったから私の印象には残りました。竹内結子がたのしそうに飲んでいたし。試みとしては大いに評価すべきです。
デジタルサイネージとは、一言で言うなら、その商品の売上に直接的に好影響を与える可能性がある、店内で流れる動画広告です。”直接的に好影響”というのがポイントです。これは消費財等の広告主にとって非常に大きな魅力となります。
細かな話をすっ飛ばして、デジタルサイネージのキモを整理すると、以下のようになります。
1. 問題はコンテンツをどのように制作し、配信するか。
コンテンツは、①放映される環境(店舗内の場所)に合っている必要がある、②そこにいる消費者の興味に合っている必要がある、③購買決定をぐいっと押すような最良のタイミングで放映される必要がある、といった条件を満たす必要があります。
2. 大多数の流通小売企業には、そうしたコンテンツを制作するノウハウもなければ、最適な内容のものを適時配信するノウハウもないのが普通。
ウォルマートぐらいになると自前のデジタルサイネージコンテンツ用放送部門を持つことができます。けれども一般的な流通小売企業には非現実的な話なはず。もっともこのジャンルの動画コンテンツ制作はどういう企業にとっても未知の領域です。
3. デジタルサイネージの総合的なハンドリングは、ITと映像制作と広告代理店業と流通小売業の販促活動の中間領域に存在している。
商品広告であるという点では広告代理店業とCM制作業のノウハウが必要でしょうし、コンテンツをIPネットワークに乗せて配信するという点ではその関連のテクノロジーを全的に押さえている必要があります。また、店舗内に置かれるメディアであるので、流通小売企業の内部の視点も持っていなければなりません。そうした条件を兼ねる事業者は今のところいないのではないか、と思われます(→大きなフロンティアが広がっているわけです)。
という非常に粗い整理から、次のことが言えます。
デジタルサイネージの市場が大きくなる過程で、必ず、広告出稿企業とデジタルサイネージ設置流通小売企業との間に入って、コンテンツ一式を制作し配信する事業者が必要になる。(話を単純化するため、広告代理店機能は脇に置いて考えています)
この事業者とは、いわば、デジタルサイネージ用ディスプレイに特化した”放送局”ですね。
例えば、ダイエー新浦安店のソフトドリンク売場では15:00~18:00まではコカ・コーラ主体のコンテンツを流し、18:00~20:00まではキリンビバレッジ主体のコンテンツを流す。その一方で食用酢の売場では朝から晩までミツカンのコンテンツを流し、カレーの売場では5分単位でハウス、S&B、グリコのコンテンツをローテーションで流す。こんなことを総合的に取り仕切る”放送局”なわけです。小売店舗専用動画広告配信に特化した放送局と言ってもいいですね。コンテンツ配信のイメージは数十のチャンネルで常時楽曲を流している有線放送に近いです。
その前を通りかかる人に直接訴えかけて、商品を手にとってもらうことが目的の動画広告ですから、中身もTVCMとは違っていなければなりません。尺も15秒や30秒では短すぎるので、3分とか5分とか必要なのでしょうか?いずれにしても、既存のTVCMとは別枠の制作体制が必要になると思います。
収益モデルは…。世のビジネス通念から言って、仕切り度が高いプレイヤーがたくさん取るのが普通ですから、この”放送局”がかなりの取り分を得ることになるんでしょうね。広告出稿企業から100のお金が出るとすると、①制作費で25、②放映取仕切り一切で50、③デジタルサイネージ設置小売企業が媒体料として25、ぐらいの感じでしょうか。①も②もこの”放送局”の売上にできます。(広告代理店と役割分担すれば按分ということに)
とすると…。この”放送局”は都道府県境に縛られない営業が可能ですから(放送法には縛られない事業なはず。企業内動画配信代行業ですから)、1社で全部取ってしまうとすると、たぶん首都圏キー局をはるかにしのぐ売上が可能になるはず。そしてまた、非常に高い利益率が期待できると思います。放映されるコンテンツは原則的に広告であり、媒体価値を高めるための”番組本体”の制作費が不要ですから(動画広告コンテンツの制作費は慣行により広告出稿企業の負担なわけですね)。
なんとまぁ驚異的なビジネスモデル。
というのが先ほど思い浮かんで”はっ”とした次第。
先日、Twitterである方が、「飛光よ!飛光よ!」というメッセージを出していたのを発見して、「『深夜特急』の一節を思い出しましたか?」と@付きリプライを送ってみました。
「深夜特急」的な世界が80年代の原風景になっているという方も少なくないのではないかと思います。
ご存知のように映画「Midnight Express」(1979年)が沢木耕太郎の「深夜特急」(第一巻は1986年)よりも早く世に出ていますから、沢木耕太郎はタイトルを借用したわけですね。
Wikipediaでおもしろい解説を見つけました。
-Quote-
言語に於ける借用
言語同士が接触した際、或る言語から別の言語へと語彙が輸出される。このことを言語に於ける借用という。語彙だけでなく文法、語法などが借用されることもある。借用された単語のことを借用語という。語彙がそのままの形でなく直訳された形で借用されることを翻訳借用という。
-Unquote-
沢木耕太郎のタイトル付けは翻訳借用ということになります。
「Midnight Express」が描いている世界も、「深夜特急」が描いている世界も、「実社会に入る前の青年がアジアの混交に触れて色々な変化をこうむるストーリー」ということでモデル化できると思います(沢木耕太郎がアジア旅行に出る前にすでにジャーナリストとして活躍していたよ、という細かなつっこみはなしね)。一種の教養小説ですね。どうも西欧には「アジアに行っちゃってどうにかなっちゃう」のがテーマとして確立している雰囲気があります。それにわれわれ日本の高度成長期あるいはそれ以降に青春期を送った世代も大いに影響されて、ほんと行っちゃったりすると、そこでもストーリーが成立する。
日本は島国なので、アジアの色んな文物が入ってくる際に何段階かの濾過を経る格好になり、日本で一般に浸透するのはかなり澄明度が高くなったものばかりです。アジア全域に日常的にころがっている生な文物は日本では見られません。従って、ほんとに行くと、色々と刺激を受ける。影響を受ける。それは例えて言えば、日本語で表すことのできる形容詞や名詞の中には納まりきらず、その国の言葉でしか理解できない、ごつごつした塊として存在している未知の物、ということだと思います。
そういう日本語の濾過を経ていないものに直接触れるわけだから、やけどをしてみたり、ケガをしてみたりということがあるわけですね。物理的にも象徴的にも。
そういう意味では、「実社会に入る前の青年がアジアの混交に触れて色々な変化をこうむるストーリー」は西欧から生まれたものであるけれども、日本のある時代以降の青年がそうしたストーリーを、ある時期生きる、ということは自然なわけです。モデルは西欧生まれだけれども、日本の青年もほぼ似たポジションで教養小説的な経験をするわけです。
何年か前にテレビで「深夜特急」をドラマ化したのが放映されました。確かめてみると96年だそうです。2006年の正月だかに再放送されていたのを録画して全部見ました。いいですよね。めちゃめちゃいい内容でした。大沢たかおもよかった。
エンディングで流れる井上陽水の「積み荷のない船」がまためったやたらといい。この曲だけのために2枚組ベストものCDを買いましたよ。
話を戻すと、あそこに描かれていた東南アジアやインドや西アジア(自分は行ったことがないけれども)の街路や安宿が、80年代の原風景になっているという方は相当数いらっしゃると思います。
そうした方々が、いまはどんな仕事をしてどんなライフスタイルに落ち着いているのか、すごく興味があります。
「日経ヴェリタス」を読んでいたりするのだろうか。投資対象としてインドの潜在力を分析していたりするのだろうか。とかとかですね。
西欧で成立した教養小説のゴールデンパターンが正しいとすれば、旅からは、還って来なければならない。そして、日常生活が始まらなければならない。
とすれば、ああいう原風景を持っている人たちも、どこかの時点で、そうした原風景を切り離したはずです。
その切り離し方にすごく興味があります。
おそらくそれは、何か1つのエポックがあって、切り離しが「完了!」となったわけではなく、ある日ある時振り返って見ると、境目がわからないどこかの時期に、どうにかなって(ある種うやむやになって)、自分でも何が原因か結果かわからないような状況のなかで、後から振り返って見た時にのみ、「切り離されていた」と認識できるようなものなのではないでしょうか。
あぁそう言えば、「ザ・ビーチ」もその系統の映画でした。
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