矛盾を気にせず受け入れて楽しむ
昨日(6/1)は息子の小学校の春期運動会でした。
本当は5/31だったのですが、雨で延期。6/1は別件があった(バンドの練習)のですが、急遽欠席させてもらいました。この場を借りて、メンバーに言ってあらてめて言っておきます。「ゴメンナサイ」。
うちの息子の小学校はたぶん全校生徒・全学年で12クラス無いんじゃないかな、という規模。きっとまだ幼稚園の方が人数が多かったでしょうね。元々ベッドタウンだったこともあり、どちらかというと公立小学校・中学校が余り気味。足りなくて困っている江戸川区の方とは全く反対の状況です。
何せ、うちの小学校の隣が中学校でその隣がまた別の小学校。自分の実家あたりでは考えられないことです。
じゃあここらで本題に戻りましょうかね・・・。
丁度息子の晴れ舞台(?)を見るのに確保した場所が徒競走を行う際のゴール地点の横でした。
自分が小学校時代は当然出演側として、小学校卒業以来は小学校の運動会に行くことが無かったので、そんな他人の徒競走のゴールを見ることなんかありませんでした。
全部とは言いませんが、(うちの学校の場合)結構怪しい着順あるんですね、これが。
もちろん1位はほぼ正確ですが、2位~3位でだんごになってゴールした場合にそれが顕著なんですよね。
もちろん小学校の徒競走ですから、写真判定なんてものはなく、一応ゴールラインの横で先生が見て、かつ、着順連絡担当の係の生徒もいるのですが、「え~?それは違うんちゃう?」と思う着順がありました。
傾向として、同じような体型の場合背の高い方が着順前に判定され、ちょっと体重差がありそうな場合、体重が大きそうな方が着順後に判定されていたように思います。幸い(?)自分が「あれ?」と思う着順判定について異議を唱える生徒は居ませんでした。
自分が子供だった時、人が決める着順は、非常に公平であるに違いない、と信じて疑わなかった訳ですが(苦笑)。今の子はどうなんでしょうね。やっぱり自分の子供の時みたいに、「絶対正しいはずだから文句は言えない」、ということだったのか、それとも、「いいもん、別にこれで勝負しようと思ってないもん」と思っているのでしょうか。
後者だとした時、小学生からそんなのじゃダメだ、と思う人も居られるかもしれませんが、自分はそれはそれで良いのでは?という気もあります。
それは決してヤケになった、とか、諦めてしまった、とかいうのとは、また違う、と自分自身は思っています。少なくとも、自分自身がそれを意識した上で、「だから何だってそうなんだよ、努力したって、ほざいてみたって仕方ないんだ」とする訳ではなくて、「まぁそんなことがあって当たり前なんだよ。だかたそこでは勝負せずそこそこで、こっちで勝負していこう」とすることだって、決して逃げじゃないと思うんですよね。
自分の場合は、そんな冷静な判断ができる子供からはかなり遠い位置に居る、精神構造も幼かったのですが。
その後の自分を見ても、てきぱきと暮らし、無駄な人生は一切過ごしていません、そこに一寸の疑いもありません、とはとても言えません。でも、その”無駄”も踏まえて自分が形成されている、と思っています。人から見ればそれはかなりの無駄かもしれませんが、自分自身が無駄、と感じなければ良いか、と。だとしたら、世の中に矛盾はあって当たり前かな、ということに気づけば、逆に色々見えてくることもあるな、と思う今日この頃です。
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なんてエントリーを昨年の6月に書くだけ書いて公開もせず下書きのまま放って置いていたことに昨晩気づきました。
なんでその時に公開せずに居たのか、あえて公開しちゃいけない、と思ったのか、判断したきっかけすら思い出せないので、公開してみることにします。
これも一つの無駄を作ってしまったのでしょうか?(苦笑)