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ITに強いビジネスライターとして、企業システムの開発・運用に関する記事や、ITベンダーの導入事例・顧客向けコラム等を多数書いてきた筆者が、仕事を通じて得た知見をシェアいたします。

【次世代PR試論】「計画的廃品化」はもう通用しない

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計画的廃品化という言葉がある。

どういうことかご存知だろうか?

事例を聞けば、「ああ、あれね」とすぐに分かる話だ。

● 大量生産の父と「大量販売の父」

20世紀は大量消費社会と言われる。21世紀の今になって、それに対してノーを言う人が増えてきたようだが、でも、まだ、続いている。

元々はこういうことらしい(『成長と成熟』(天野祐吉)を参考にまとめました)。

大量商品の前提としては、大量生産ができないといけない。大量生産の父といえば、ヘンリー・フォードだ。

大量生産自体は、すでに1890年代に始まったらしいが、今に至る方法論を作ったのがフォードである。そのエッセンスは、部品の標準化、部品の規格化、製造工程の流れ作業化の3つである。

以上を確立したことで、大量生産の父と言われるヘンリー・フォードであるが、彼は大量販売の父とは言われない。1908年に発売されたT型フォードは、史上最大のヒット商品の一つだが、それは代わりが他になかったからだ。

大量販売の父とは呼ばれていないが、そう呼ぶべき人物がいるとすれば、それはGMの創始者のウィリアム・デュランだろう。

1921年にはアメリカの自動車市場の55%をフォードが占めていた。ところが、1927年には25%に落ち、首位の座をGMに譲ることになる。

デュランはどんなマジックを使ったのだろうか?

● 「大量消費社会」の牽引力

フォードのやり方は、良くも悪くも技術者のやり方だ。高いコストパフォーマンスの製品を妥協なく作る。コストカットも徹底してやる。良いものをリーズナブルな価格で提供すれば売れるはずだし、それが消費者のためにもなるという考え方だ。

一方のデュランは、機械技術についてはまったくの素人。ただし、経営のプロである。

彼は、市場を支配するのは消費者の欲望だと気づく。なので、徹底的に消費者の欲望を喚起することに注力した。

アメリカの社会科学者デイヴィッド・リースマンは『何のための豊かさ』の中で、この様子を端的に語っている。

自動車の運命を左右するのは、技術者の仕事ではなく、自動車産業が"スタイル部門"と呼ぶ部門に移ってきたのである。この部門(中略)は、ハーリー・アールの作ったものだ。アールはゼネラル・モータースの副社長であり、そして、副社長という地位を得た工業デザイナーは、彼をもって初めとする。アールは『自動車は見かけで売れる』という原則を、ゼネラル・モータースの政策として確立した人物だ。(前掲書『成長から成熟へ』から孫引き。中略および太字は筆者)

この売り方の何が悪いのかという人もいるだろう。実際、これと同じやり方をほとんどのメーカーが採用している。

化粧品や婦人服などの売り方など、まさにその見本だし、ほとんどの消費財はそうだ。それが悪いかと言われると単純にそう決めつけることはできない。法的に禁じられているわけでもないし、消費者にとって良いことと信じて一生懸命努力している人たちもいる

ただ、なんとなく得体の知れない気持ち悪さを感じるのは、僕だけだろうか?

● 計画的廃品化とは?

何が気持ち悪いかと言われると、操作されている気がするからだろう。

もちろん、すべてのメーカーが消費者を操作してやろうと思っているわけではない。本当に消費者のためだと信じてやっている会社もあるのは、さっき書いた通りだ。

しかし、実際に「それはないだろう」ということをするメーカーも存在する。また、実際に人をだますセールスマンも出てくる。

そういうセールスマンについては誰もがよく知っているだろうから、メーカーの話に絞ろう。

メーカーは計画的に製品を陳腐化する。消費者のニーズを取り入れたという大義名分はあるのだけど、そうでないものも多い。

たとえば、日本の自動車メーカーは頻繁にモデルチェンジをする。その都度、なんとなく前のモデルより魅力的になる。とはいえ、冷静に判断すると大した魅力ではなかったりする。でも、なんとなく買い換えたくなるのだ。一部の名車を除くと。

とはいえ、前のモデルを陳腐化させるということだけなら、技術の進歩もそれに貢献しているわけだし、悪いことでもない。

悪質なのは、前のモデルを計画的に廃品化するというものである。これは、「計画的廃品化」と呼ばれている。

よく都市伝説であるでしょう? 「S社の製品は、保証期間が切れたらすぐに壊れる」というやつです。

ところが都市伝説と思っていたら、実際に数年で壊れるようなシカケを施していたと認めているメーカーが世の中にはあるのだ。

● Windows XPとOffice2003で十分じゃん

そのメーカーについて、僕自身が調べたわけではないので、無用な中傷を避けるために名前は出さない。

ただ、それに近いことを、合法的にやる会社はある。

サポート切れという「計画的廃品化」がそれだ。

僕は思うんです。オフィス内の事務的な仕事であれば、今でもWindows XPとOffice2003でいいじゃん、と。

(それどころか、社内の定型的な電算業務(伝票入力等)であれば、大型汎用機の24行×80桁の端末のほうがずっと楽だったという人は後を絶たない。)

そう思う人、特に会社は多くて、XPのサポート期間は何回か伸びた。

Windows XPは端的な例なので、かなり問題になったが、サポート切れという計画的廃品化をしていないメーカーはほとんどないだろう。

(ちょっと誤解を招く書き方だったかもしれないので補足する。僕は何も「サポート期間終了」という行為を一概に悪いとは思っていない。僕もITベンダーで働いていたので、「ベンダー都合」があるのはわかるし、技術の発展のためには古いものを捨てないといけないという理屈にも一定の理解はある。ただ、そのようなことに違和感を覚えたり、迷惑を感じたりするユーザーがここ数年で増えてきているという現実があるということを言いたいのである。)

それと関係あると密かに思っているのだが、今日本でトップシェアのバイクメーカーを即答できるだろうか?

● 心ある人は計画的廃品化にノーを突きつけている

それは、ハーレー・ダビッドソンである。

大型車しか作っていないのに、中型車も含めてトップシェアなのである。

ホンダ、ヤマハ、カワサキ、スズキという数十年前には世界を席巻していたバイクメーカーが束になってもハーレーにかなわないのだ。

性能では日本メーカーのほうが上だと思うのだが、ハーレーのバイクは50年間(確か)所有することを前提に作られている(何で稼いでいるかといえばカスタマイズと周辺商品でだ)。

ハーレーはイベントで集客して、ライフスタイルを売るという販売方式でシェアを伸ばしてきたが、多くの人が「使い捨て」でないということに共感しているのではないかと思うのだ。

だって、誰だって一生付き合う(ライフスタイルを買うというのはそういうことだ)ものが「使い捨て」でいいとは思わないでしょう。

これはハーレーに限ったことではない。日本で流行っている「断捨離」も、欧米で一大潮流になっている「シェア」の思想も、使い捨て(=計画的廃品化の一種)が前提の大量消費にノーを突きつけるということだと思うのだ。

さあ、メーカー(だけでなく流通も)にとっては大変なことになった。

● ものが売れない理由が変わってきた

アベノミクスが成功して、景気が良くなっても、ものが(たくさん)売れないということは変わらないだろうと僕は予想する。

なぜなら、ものが売れない理由が変わってきたからだ。

90年代から続く不況の根本原因は、ものが行き渡ってしまったからだと言われてきた。家に帰れば何でもあって、いまさら欲しいものなどない。

だからこそ、計画的廃品化をしてでも、新しいものを買わさないといけないという状況になった。さっきのS社の都市伝説も、聞くようになったのはバブルが弾けてからだ。

とはいえ、まだ所有欲はあったし、使い物にならなくなったら新しいものを買うということは変わらなかった。

ところが今は、借りる、シェアする、中古でも使えるものを融通しあうなどという選択肢が、大きなウェイトを占めるようになった。

20世紀においては、ものをたくさん持っていることがステータスだったが、今ではそれをかっこわるいことだと、あるいは環境に悪い罪悪だとみなす人が明らかに増えてきた。

こんな時代にものを売ろうなんて、大変ですよ。

メーカーや流通が取るべき道は大きく2つだと思う。

シェアなど新しい潮流に乗っかった仕組みを提供する側に回るというのが一つ。

もう一つは、売れないことを前提に単価を上げて、その代わりに本物を売り、アフターサービスも万全(サポート切れなんてとんでもない)という商売をやるのが一つ(モノでなくてコトを売るというのは、こちらに含まれるというのが僕の考えだが、今回は詳しく書かない)。

まだあるかも知れないが、大量消費が今後の主流ではないということを前提に、ではどうやってPRしていくかを、今後は考えていきたい。

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ITブレークスルーは、所得格差の二極分解に歯止めをかけ、悪平等社会ではない、多様性のある中間層で満ち溢れた活気ある日本作りに貢献したいと思っています。

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