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ITに強いビジネスライターとして、企業システムの開発・運用に関する記事や、ITベンダーの導入事例・顧客向けコラム等を多数書いてきた筆者が、仕事を通じて得た知見をシェアいたします。

Twitterで"名言"を吐くのがイタすぎる理由

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すみません。僕もやってました。イタいです。

Twitterで、何か名言めいたことを言う人たくさんいますよね(facebookとかでもね)。

やめたほうがいいです。

昨日気づいたばかりですけど。

 

日、『宇宙に外側はあるか』(松原隆彦、光文社文庫)という本を買った。

宇宙論は面白い。僕が社会人になったばかりの1988年に『ホーキング、宇宙を語る』が出版され、一大宇宙論ブームになった。

その後、宇宙論はどんどん変化を遂げた。

超ひも理論というのがあったのを憶えていますか? 今は、ストリング理論となっている。「超」などつけているのが、ちょっと恥ずかしくなったのだろうか? さらにストリング理論の枠組みを拡げた理論としてM理論というのまであるらしい。

2001年には、エクピロティック理論という宇宙は膜と膜のぶつかり合いでできたみたいな理論が提唱された。この理論が本当なら、あえて宇宙の最初を考えなくてもいいし、インフレーション理論も必要なくなるとのこと。インフレーションもよく分からないうちにこんなのまで出てきているのです。

そのうえ時間や空間は本当にあるのかなどと議論している。もうとにかくわけが分からないのである。

こういう状況なので、5年に1回ぐらいは、最新の宇宙論を分かり易く解説してくれる本を読まないといけない。その都度、宇宙の姿はどんどん得体の知れないものに変わっていくからだ。

 

ので、トンデモ本と最先端科学の本を見分けるのは簡単だ。

常識的なことが書いてあるのがトンデモ本で、非常識なことが書いてあるのが最先端科学の本である。

逆じゃないかって? これで合ってます。

トンデモ本の著者たちは、(元になるもっともらしいデータはあったとしても)想像で書くわけです。すると、そんなに想像力豊かな人はいないので、結論はいっけんとんでもなくても、我々の常識の範疇に納まってしまう。

だから、よくできたトンデモ本ほど、信じる人が多いということになるわけです。

ところが、最先端科学の研究者たちはとても頭がよく、その頭のいい人たちが最近はチームでいろいろと考える。それで、実験してみると、その人たちの想像を超える結果が出てきたりもする。

たとえば、DNAが二重螺旋だなんて、実際に見てみないと分からないわけで、人間の想像力の範囲を超えているわけです。

ところが実際の自然はそうなっている。

宇宙も同じで、ビッグバンなんて今では子供でも知っていることを、1965年ごろはほとんどの宇宙物理学者が黙殺していたのです。

相対性理論も量子力学も、それまでの常識を覆すものだった。

非常識な結論が出ないと、最先端科学とはいえない。我々の想像通りに自然はできていないのだ。

ここだけの話だけど、ビジネス本や成功本もあなたの常識の範囲で書かれていたら(つまり共感度が高ければ)トンデモ本の可能性が大と思っていい。人間の世界はある意味自然界より常識を超えている。

 

話休題。

宇宙論は、科学の最先端である。このような世界では、一つ何かが分かると、二つも三つも分からないことが増えていく、というイメージだ。

脳科学なんかもそうだろう。

僕は、このような最先端研究に従事する人たちはむなしくならないのか、以前から疑問に思っていた。やればやるほど疑問や謎が増えていくからだ。

その疑問が、前掲書のプロローグで解消した。

著者の松原氏は、下図のような秀逸な図で解説してくれている。

2012051501.jpg

彼は知識を球体にたとえている。

球の内部が我々の知識であり、外部がまだ知らないことである。

自分たちが何を知らないかは、我々は球の表面からしか窺うことができない。

知識が増えれば増えるほど、球の表面積が広がり、知らないことがどんどん増えていくのだという。

謎が深まるということは、裏を返せば私たちの理解した範囲が広がったことを意味します。

自身が宇宙物理学者でもある松原氏は、誇らしげにこう記している。

彼らにとっては、知らないことが増えれば増えるほど、成長を自覚したことになるのだ。

たいしたことでもないのに以前よりちょっとできるようになったぐらいで、俺は成長したとメルマガとかブログとかで威張ってるやつに爪の垢を煎じて飲ませたいよね。

えっ、お前が飲めって? 僕は、以前よりできなくなったと偉そうに書いているので、もっとダメです。

 

ころで、昨日こんな記事を書いた。

▼何も知らないことを自覚することがだまされないための第一歩
http://blogs.bizmakoto.jp/toppakoh/entry/4802.html

基本的には一緒の話です。

歳を取れば取るほど、既知の世界は広がっていく。

広がれば、分からないことが多いことも分かって来る(昨日の記事の僕の件は、本物の無知なもうすぐ初老の人の話だけども・・・)。

若者は、既知の世界が狭いので、その周りにもっと広大な世界があるのに気づいていない。それが若者の良さであり、その狭さゆえにすぐに壁にぶつかることで大きく成長できるわけだ。

しかし、いい歳の人間にとってはそんな成長はみっともないだけだ。若い間だけです。今は若い範囲が広がっているが、それでもせいぜい40歳ぐらいまででしょうか。

50歳も間近になってくると、40歳前の人が思っているより狡猾で老獪になっているきているから、壁にぶち当たるということはない。ひどい目には会うが、それは壁ではなく、単に気力・体力が衰えているだけのことである。

だから、なかなか成長はできないのだけど、それを突破するには、自分が無知であることを認めてしまうという道がまだ残されている。

ちょっとややこしくなったでしょうか? まあ、この歳になれば分かります。

いずれにしろ、いい歳の大人には自分から名言を吐くという選択肢はない。無知を自覚するのであれば、それはできない。

仮に名言が吐きたければ、他人がそれを採録してくれるだけの人間になるしかない。自分でツイートしてまってはいけない。

 

Twitter上の"名言"がイタい理由はここにある。

今までの議論を踏まえて言い換えれば、短い言葉で何か(人生だろうとビジネスだろうとマーケティングだろうとプログラミングの極意だろうと)を断言するというのは、とっても恥ずかしいことなのである。

断言できるということは、知らないということと同じだから。

空手をはじめて半年ぐらい、最近近所のチンピラが怖くなくなったという水色帯(なんとなく弱そう)の高校生が、「空手道とは」と語るのと同じぐらい恥ずかしいことなのです(しかし、何度も言うように若いうちはそんなことをするべきではある)。

ああ。僕は絶対にやめるぞ。

もし、僕がそのようなことをつぶやいていたら、それは酔っ払っているということです。

 

PS.本当のことを言うと、僕のも含めて(なにしろ酒が入っているから)、ほとんどがつまらないのがイタい。

 

自社の考えをインタビューして文書化してほしい方は↓

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