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ITに強いビジネスライターとして、企業システムの開発・運用に関する記事や、ITベンダーの導入事例・顧客向けコラム等を多数書いてきた筆者が、仕事を通じて得た知見をシェアいたします。

3月18日 正しい価値判断~「私たちにできること」ではなく「私がやること」(#299)

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今朝Twitterに、「被災者の応援をする気持ちはすばらしいが、「私たちがやれること」というようなタイトルのメルマガだと辛い思いをする人もいる。せめて「私がやること」にしてもらえないだろうか。」と書いたところ、私のツイートにしては珍しく反響があり、もっと詳しく語ってほしいとのリクエストをいただきました。

私は、大変うれしく、励まされた思いがしました。というのは、私自身、現在軽いPTSD状態になっていたからです。いろいろな言葉が凶器のようにつきささってくるという、かなりきつい状態ですが、がんばって「語り」たいと思います。

自問自答)(前略)まずは身近なことから考えぬくことで価値判断力を高めていきたい。

松下幸之助さんは、「まず、商売人として、また社会人として、ものの正しい価値判断ができないようでは困ります」とおっしゃっています。

こう書いている私も、平常時にはまだしも、この非常時に何が正しいか、よく分かりません。しかしながら、私なりに考えたことを、私自身の責任で書きたいと思います。

●繊細さに欠ける政治家

これは、今朝たまたま見ていたテレビで聞いた話です。ことの真偽は分かりませんが、ありそうな話です。

ある災害の被災地に行った政治家が、被災者を励まそうとして、こう言ったのだそうです。

「がんばってください!」

当然ながら、野次が飛びました。

「がんばるのは、おまえだ!」

政治家には、基本的にポジティブな人が多いのだと思います。なので、彼としては、何の悪気もなくかけた言葉だったのでしょう。

しかし、ポジティブな人の欠点として、辛い状況にある人の気持ちが分からないということがときたまあると思われます。すべてのポジティブな人とは言いませんが・・・(たとえば、超一流アスリートの中には、ポジティブで思いやりのある人が多いように感じます。これは厳しい自己鍛錬を普段から自分に課しているからでしょう)。

●「私たちにできること」???

政治家だけでなく、私の周りにもこういう人が多いよなと悲しい気持ちになっていたところ、メルマガが届きました。

タイトルは、「私たちにできること」でした。

きっと本文には尊いことが書いてあったのだと思います。ただ、私はこれを読むとまた感情が高ぶってしまうと思い、読まずに削除しました。

「私たちにできること」というタイトルには、「俺もやってるんだから、お前たちもやれ!」という押し付けをどうしても感じてしまいます。

しかし、関東地区の我々だって、 毎日不安の中で戦っています。被災地に何かしたくても、できていない人間も多い。そういう人たちは、まず目の前のことに取り組めという人もいますが、それすらかなわない人もいます。

多くの人が後ろめたい気持ちで生きている。その人たちに対して「私たちにできること」というタイトルは、思いやりを感じません。

ましてや、被災地の人たちはどうでしょう?比較的被害が小さい場所の人たちは、もっと被害の大きい場所のことを常に思いやっているのです。何もできないことを歯がゆく思っているに違いありません。このようなメールが読める人たちは、まさにこういう人たちです。

これが、SNSのような限定した空間の中で、同じ志や環境の人間ばかりのところでの発言なら、問題ないと思うのです。SNSなら状況によっては見にいかないという選択もできます。

しかし、メールというのは、一方的に送られてくるものです。そういうものが送られてきているということは、いやでも分かってしまう。私のような心の弱い人間は敏感に反応してしまいます。

このようなタイトルを平気でつけてしまう人には、先の政治家と同じような心根を、どうしても感じてしまいます。

そして、タイトルこそこうではないけれど、内容はこの手のメルマガが多いので、読むたびに私は違和感を感じてしまいます。

書いている人たちは、本当は心根のやさしい人が多いのだと思うのです。なので、なおさら残念に思います。

●「私のやること」なら読んだ

細かいことかもしれませんが、これが「私のやること」というタイトルなら読んだと思います。

そして、場合によっては、こんなすばらしいことをやろうとしているなら、私も応援しよう、あるいは同じことをしよう、と思ったかもしれません。

そこまででなくとも、共感の感想メールは出していたかもしれない。

また、被災地の方でも、こんなことをしてくれるのかと有難く思う人も多かったように思います。

本当に、みんなにやって欲しいことなら、まずは背中を見せる。そして、共感者や賛同者を集める。

一流の人たちは、「おまえもやれ」などということは言わず、どんどん自分のやれることをやっているようです。それ自身が、強力な呼びかけになっています。

「今欲しいのは、リーダーシップ」という言葉もききました。リーダーシップというのは、こういうことだと思います。

●「言葉狩り」とは思考停止のことだ

さて、私は、ここ数日同様のことを、いろいろな機会に訴えてきました。

残念ながら、私の表現のつたなさのせいで、ごく一部ですが、誤解を招いているように思います。

一番多い誤解は、私が「自粛」を呼びかけているというもの。中には「言葉狩り」をしていると思っている人さえいるように感じます。

しかし、私がお願いしていることは、「言葉狩り」とはまったく反対のものです。

もっと一つ一つの言葉を吟味しようということなのです。そして、できる限りの思いやりを持とうということだけなのです。平常時以上に考えて欲しいということ、それだけなんです。

もちろん、私自身も誤解を招くほどですから、まだまだ言葉の吟味が足りていないという反省はあります。それでも、できるだけ無神経に言葉を使わないようにしているし、自分の言葉が無神経だったと思うときは反省し、お詫びもしています。

では、「言葉狩り」というのは、どういうものか?

ある友人から噂で聞いただけですが、「『不謹慎』という言葉を使うのは止めよう」というキャンペーンを張っている人がいるそうです。実際に誰がやっているのかは、あえて詳しく聞きませんでした。

それを聞いただけで、私はキャンペーンを張っている人の言葉に耳を傾ける気にはなれませんでした。

無条件に言葉を禁止することを、「言葉狩り」というのです。このキャンペーンはまさに「言葉狩り」の疑いがあります。

不謹慎なことには、断固として「不謹慎」だというべきだと私は思います。

ただ、それには、それなりの考える時間と覚悟が必要です。自分の言っていることが、「健全な良識」に基づいているのかを考える真摯さが必要です。また、相手を追い詰めないでどう伝えるかという配慮も必要です。

言葉の禁止には、そのような真摯さや配慮を感じません。あるのは、思考停止だけだと思うのです。

なので同様に、やたらと「不謹慎」という人も思考停止している可能性があります。

このことをたしなめているキャンペーンであればいいと思うのですが、どうもそんなことではなく、自分のやることを「不謹慎」と言われないための布石を打っているだけに感じてしまいます。

今日の一言)もっと一つ一つの言葉を吟味し、被災者に対して自分ができる限りの思いやりを持とう。

心臓がバクバクいっていますが、覚悟を決めて公開いたします。 

読み直してみて、やや神経過敏に感じるのは否めません。ここまで考えるの?という人も多いでしょう。ただ、私以上に、もっと過敏になっている人がたくさんいることは覚えておいていいことだと思います。

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もう一つ知っておいて欲しい。被災地で、ものすごく前向きな人を見かけます。それに励まされる、俺たちもがんばろうという人も多いのですが、その前向きな方々が一番PTSDになりやすいということも。その言葉を言うのに、どれだけの無理をなさっているかを思いやって欲しい。被災地の人は強いなんて、単純に思わないで欲しい。人間の心はそんなに単純ではないのです。

※この件についてあるカウンセラーの方から重要なご指摘をいただきました。「励まされた」という感想をきいて、ますますがんばってしまうのだろう、という指摘です。そうだとすると、「励まされた」という感想でさえも、罪なのかもしれません。ここまで来ると、私も何がいいのか、難しくて分かりません。

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あと(注)です。PTSDというのは、災害被害を受けてから、1ヵ月後以上たってから訪れるフラッシュバックのような症状です。それまで、無理に平静を保とうとしてきた方ほどかかりやすいといわれています。ですので、私のは、正しくはPTSDとは言いませんが、承知の上で使っています。

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被災地のために何かできないか考えている方は、まずこれを読んでみてください。

http://xdl.jp/diary/index.html#20110313

その上で、これを読むといいと思います。

http://xdl.jp/diary/index.html#20110314

また、テレビで読み上げられているFAXも参考になります。みんな、こんなに暖かい言葉を持っているんだなと感動します。特に子供たちの言葉がすばらしい。襟を正して聞いています。 

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