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ITに強いビジネスライターとして、企業システムの開発・運用に関する記事や、ITベンダーの導入事例・顧客向けコラム等を多数書いてきた筆者が、仕事を通じて得た知見をシェアいたします。

3月13日 いくらでも考えることがある~「奇跡的」に無事だった我々の義務ではないか?(#294)

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自問自答)きょう考えなければ、5年後、10年後、20年後もわからないままで過ごしてしまうのかもしれない......。だから、今、考える。今、提案する。

この「一日一言」というのは、実は、仙台で会社を経営しているある社長のためにはじめたものでした。彼とは11日の地震以降、まったく連絡がつきません。とても心配しています。無事でも連絡どころではないからくれないだけだろうと考えることにしていますが......。

私が、ここでやめてしまうと、彼もいなくなってしまう。根拠のない話だけど、そんな気持ちもあって続けています。

一昨日から疲れ果てていたせいで、今朝になってはじめて津波の映像を見ました。

まだ、津波は来るかもしれないとのこと。いまだに日本沿岸には、地震のエネルギーが残っていて、いろんな方向にたくさんの波がいきかっているのだそうです。波のヤマとヤマがぶつかると、思わぬ大きな波になる恐れがある。それに余震がくるとどうなるかわからない、とのことです。

5mぐらいの津波で、沿岸地域が壊滅していく様子をテレビは映していました。警報が出たら、高台に逃げろと、アナウンサーは呼びかけていました。

私は、行徳というところに住んでいます。ほぼゼロメートル地帯です。高台なんかありません。5m級の津波が来たら、アウトです。

たぶん、東京湾沿岸だけで、そんな地域に100万人ぐらいが住んでいると思います。津波が来ても、高台なんかない地域です。

怖いのは津波だけではありません。埋立地がほとんどなので、震度7以上の地震がきたら、ほぼ確実に液状化します。

そんなところに100万人単位の人が住んでいる。そのことの意味は何なんだろう。考えざるを得ません。

他にもいろんなことを考えました。

ある意味、こうして生きながらえているのが奇跡のように思えます。その奇跡に意味があるのか、ないのか?

当然、意味があると考えたい。だったら、その意味は?

被災者のために、できることがあるのか?あるのなら、それは何なのか?

今日の一言)「奇跡的」に無事だった我々は、今回の地震をきっかけに考えなければならない。

今日の「今日の一言」は、社長が無事であることを前提に書いています。私は、信じています。

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