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沖縄市をコザと呼ぶ理由、沖縄市とコザの違い

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沖縄に会社を作って半年あまり。まだまだ仕事してる、とは言える状態ではありませんし、沖縄についても知らないことが多い状態。

でも、少しずつ沖縄という土地、沖縄県として本土復帰に至る経緯、復帰前、復帰後のことを知るようになって、とても興味深く感じています。子どものころに、こうやって歴史に興味を持っていれば、もっといい成績だったろうに。(笑)

沖縄県は、1972年にアメリカから日本に変換されましたが、沖縄市という市は、その2年後、1974年に、コザ市と美里村(みさとそん)が合併して出来た市です。ちなみに、「コザ」というのは日本語ではないです。胡屋(ごや)という町のことを、アメリカ軍兵士が「KOZA」と読み間違えたことから、コザという市が出来たのだか。(諸説あるかも)
ちなみに、胡屋というバス停もありますが、胡屋は以下の色分けされた地域のことです。
スクリーンショット 2024-10-09 7.04.03.jpg

なので、正確には胡屋とコザは、同一地域ではないという状態になっています。コザ十字路という有名な、以前は繁華街だった地域もありますし。

ちなみに、沖縄市から近い北中城村に、ショッピングモールとして有名な「イオンモール沖縄ライカム」という施設がありますが、このライカムというカタカナも不思議ですが、れっきとした地名です。

沖縄本島中部には、北中城村と中城村という一文字しか違わない村が隣り合っています。この2村、元々は1つの「中城村」だったようです。沖縄戦で広大な土地を米軍に接収されたことで、村内における人々の暮らしが北と南に大きく分断されました。同じ村内にも関わらず隣の字まで行くために遠回りを強いられ、公務に支障が生じるなどしたため1946年に村北部が分離して新たに北中城村が誕生しました。沖縄返還前ですね。

そして、ライカムという地名については、ここに詳しく書かれています。

40代以上であれば「ライカム交差点」としての名称の方が認知されているだろうし、復帰以前の方になるとライカムの語源が「Ryukyu Command」で、略して「RyCom」だと正確に答えられる方も少なくないかもしれない。

 ライカムとは沖縄米軍統治下時代、この地にあった米軍司令部「Ryukyu Command Headquarters」に由来しているのだ。現在は米軍住宅エリア・プラザハウジングになっている。

琉球コマンド、の略なんですね。驚きました。

その後復帰を経てライカム交差点に面して広がっていた巨大な米軍保養施設「アワセゴルフ場」が2010年に条件付きで返還され、その跡地に県内初の大型ショッピングモール・イオンモールがオープンすることになった。その名称として選ばれたのが、既に地名としても親しまれていた「ライカム」だったというわけだ。

イオンモール沖縄ライカムは、一般的に想像する「イオンモール」とは全然違い、びっくりするほど広大なショッピングモールで、複数の建物から成り立っています。中には、ショッピングセンターはもちろん、映画館に会議場など、ここだけで生活が成立するほどになっています。また、近くには戸建住宅や高層マンションも出来ており、一大新興タウンになっています。

さらに、沖縄市には「沖縄アリーナ」という琉球ゴールデンキングスの本拠地スタジアムであり、各地ドームのようにイベント会場としても使われる大きな施設が存在します。

ちなみに、今年11月14-15日は、「リゾテックエキスポ」というITのイベントが開催されます。「リゾテック」という名称で、リゾートに関するイベントを想像してしまいますが、そうではなく沖縄で開催するからつけられたイベント名で、例年数万人の来場が見込まれるITそしてDXのイベントです。このリゾテックの運営に大きく関わっているのが、ISCOという沖縄ITイノベーション戦略センターですが、沖縄イシンはメンバー企業として登録いただいています。

あ、宣伝っぽくなりましたが、最後に宣伝です。

こんな背景の沖縄で10月18日に開催する「沖縄ビジネスITフェス」は、IT化、DX化を、IT面、そして業務面で推進できる企業が、全国から集まります。あと僅かですが、事前申し込みいただければ、席をご用意できます。現地でお会いしましょう!

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