「書かれたものを読む」は、会議ではない
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「アトムの童」というドラマ、面白かったです。やっぱり、オダギリジョーさんってカッコいいですね。
この最終回で、株主総会の場で、文書を読もうとするSAGAS社の取締役に対して、山崎努さん扮する大株主が「紙を読むな!」と怒鳴りつけます。
これは株主総会という場でしたが、会議でも作成した書類を読もうとする、なんて見たことがありますね。僕も過去に、そういう人を見たことがあります。中には、その人の部下が作成した書類なので、本人は読み込んでおらず、質問されると慌てたり、なんて笑えない場面もありました。
「部下をうんざりさせる「朗読会議」上司のムダ」(東洋経済オンライン)
「朗読会議」とは、ずいぶんな言われようですが、まあ、そういうことなんでしょうね。
では、そもそも「無駄な会議」とは、どういう会議なのでしょうか?
ある会社では毎週、部長が前週の報告をただ朗読して、最後に「何か質問ある?」と聞くだけの会議を開いていて、部下はウンザリしているといいます。
これは一番ひどい例だと思いますが、あるあるなのかもしれませんね。
「会議」と称して、オンライン、オフライン問わず、メンバーを集めるということは、アウトプットが必要で、次のアクションに繋がる、というものが必要だと思っています。
一方で、「定例会議」は意味がない、という説も聞きますが、これは定例の内容によりますよね。進捗を確認し、次のアクションを決める会議であれば、定例会議も意味がありますよね。
会議とはなにか、を再認識することが必要だと感じる今日この頃です。
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