高齢者を重んじ過ぎて、「できない人たち」にしてしまっていないか
「"タブレット注文できない高齢者が激高"は老害? デジタル音痴なEXIT兼近「ネット予約・注文は無理。当たり前と押し付けないで」 高齢者とデジタル化の課題は?」(Abema Times)
飲食店で、高齢の男性がタブレットでの注文ができず「口で注文したほうが楽だ」と激高、店員と口論になった。
この2年ほどで、タブレットなどで注文できる飲食店が増えました。また、個人店でも、自分のスマートフォンでQRコードを読み取って、スマートフォンから注文できるサービスを取り入れるお店も増えました。僕的には、超便利。なところですが。
上記記事のように、自分が使いこなせないことを、「俺は客だ!」とばかりに、店側の責任に押し付ける高齢者もいるようです。まあ、ごく僅かかもしれませんが。
アメリカに住んでおられる、僕のFacebook友達の牛尾さんが、noteにこんな記事を書かれていました。
タイトルだけ見るとミスリードしてしまいそうな記事ですが、よく読むと興味深いことが書かれています。
アメリカに住んでいると、ソフトウェアを普通使うのはとても普通であり、かなり年配な方でも普通に使います。例えば私の英語の先生は、かなり年配の方ですが、普通にコンピュータを使って授業します。
会社でも、どんな高いレベルの人でも、自分でパソコン触らないとかそんな人は存在しません。
日本では、高齢者とまで言わなくても、中高年の管理職のために、印刷して提出する、なんて話を聞くことがあります。ペーパーレスの時代に、本末転倒な気がしたりします。
日本の投票がネット投票を導入しないのも、「高齢者が困るから」という理由がほとんどです。「高齢者が困るから」という理由で、高齢者をわざわざ学校や公民館まで引っ張り出して投票する仕組みになっているわけですね。
ですが、高齢者にスマートフォンの使い方を覚えてもらえば、ネット投票だって実現可能です。ちなみに、「投票所に行って投票する」というのは、昭和25年(1950年!)に制定された公職選挙法に記述されており、それ以降にアップデートされていない項目です。インターネットなんて存在しなかった70年前から、一切変わってないわけです。
この記事では「(アメリカの)高齢の方はなぜアプリを余裕でつかえるのだろう?」ということで、気付いたことを整理されています。
日本では偉い人や高齢の人は「コンピュータは使えなくても仕方ない」というノリがあると思います。でも、ソフトウェアを「使う」のはそんなに難しいことでしょうか?
先ほど紹介した先生は、アプリを使って私に請求して、Skype でレッスンして、ドキュメントとかを Word で書いた私に送ってきます。そもそも私が彼女を見つけたのは、オンラインの先生の紹介サービスでよい評価だったか
らです。彼女は、特にコンピュータに強いわけではありませんし、多分にどちらかというと苦手だと思います。興味もなさげです。多分理由はとてもシンプルで、コンピュータを使ったほうが、顧客を見つけることができて、支払いも簡単だからだと思います。つまり、「そっちのほうが楽だから」ということに尽きると思います。税金の支払いとかも紙でもできますが、どう考えてもオンラインのほうがめっちゃ楽です。
また、アメリカ人は「自分は歳だから・・・」みたいな考えもなさそうです。
アメリカに住んでいると、年齢を気にすることが少ないです。就職するときに特に年齢も書かなくてもよいですし、同僚の年齢もしりません。年齢関係なく、アウトカムを出すのであれば評価され、そうでなければ、評価されません。とてもシンプルです。だから、年配の人でも「価値を出そう」と頑張るようです。
高齢者を「歳だから、PCは使えないだろう。ソフトウェアなんて無理だろう」なんて思い込みが、結果的に「自分たちはやらなくていいんだ」という思いに至ってしまい、結果的に「できない人たち」にしてしまうのかもしれない、なんて考えてしまいました。
高齢者の伴走をして、「できる人たち」にする仕組みと社会風土が必要なのかも、ですね。