メディアリテラシーに対して、メディア側のリテラシーとは
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たまたま、こんな記事を見かけました。
あくまで社説ですので、この記事を書いた方のリテラシーの話だと考えています。
問題は、配備されるPCを使ってどのような授業をするのかが、見えていないことである。1人に1台が本当に必要なのか。
令和2年のこの時代に、何を言っているんだ?と感じたのは、僕だけではなかったようで、Facebookの僕のタイムラインでは、かなりの意見が飛び交っていました。
僕は、今の時代において、PC等(等というのは、スマートデバイスを含む、という意味です)は、学校における机や椅子と同じ、あるいはそれ以上に必須な道具だと感じています。
公立学校の場合、家庭環境や親のリテラシーなどを鑑みると、学校から貸与してでも使える環境を与えるというのは、正しい判断なのではないかな、と。
まあ、これ以上は当たり前のことしか書けないので、同じ話の繰り返しをするのはヤメにします。
この記事だけを取り上げて、新聞社、あるいは記者さんの批判をするつもりはありません。
そうではなく、この記事を一例として考えてみると、メディアリテラシーは、これからの僕たちにとって、とても重要なスキルだと感じました。記事から何を読み取るのか以前に、その記事は正しいのか、自分の意見と違う場合には、何をもって違うとするのか、あるいはその記事の背景は?といったところまで深堀りする。
個人のチカラが、ますます試される時代になってきたんだなあ、と感じた今日この頃です。
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