混雑する電車で、争って座席を確保する人たちの心の底にあるもの
「日本人はなぜ席を譲らない?」とツイートしたら「レディーファーストって意味不明」と猛反発された(BusinessInsider)
僕は、電車の中(新幹線とか長距離は別ですが)では、立っているようにしています。理由は2つです。一つは、自分の体幹を鍛えるため。立っている間は、極力姿勢に気をつけて、お尻をキュッと締めておくようにしています。
そして、もう一つは座席を譲るプロセスが面倒だから。スマートフォンに見入っていたりすると、前にお年寄りや妊婦さんが立っているのに気づかなかったりしますし、中にはお譲りしても断られることもあるので、そのやり取りをせずに済むように立っていることにしています。
しかし、世の中には争うように席取りをする人っていますよね。人を押しのけて「どん!」と座る。座ったらすぐにスマホに見入る。あるいは、寝る。(寝たふりかも)マナーという言葉とは縁遠い人たちがいるわけですが、もちろんすべてがそんな人ではないわけですが。
「確実に日本の方が安全ですよ」とか「完璧な国なんてない」というコメントもあった(そのとおり。でも今、「どこの国が完璧か」という議論をしているわけではない)。
これらの反論には共通点がある。
私がした座席についての指摘を「日本とアメリカ(あるいは東京とニューヨーク)とどっちが優れているか」という比較にすり替え、「だから日本の勝ち」と結論づけようとしているところだ。私は日本が悪い国だとも、アメリカが完璧だとも言っていない。日本はいいところがいっぱいある国だし、アメリカだってそうだ。そしていずれも完璧ではない。でもある種の人々には、日本のある側面を批判されただけで全否定されたように聞こえてしまうのかもしれない。
他国と比較することが正しいかどうかはさておき、「座席を譲りましょう」という意見には大賛成です。先進国というからには、GDPとかお金だけでなく、民度とでも言うのでしょうか、心の余裕とでも言うべきか、もっとゆとりある意識でいたいものですね。座席を争う人たちは、もう少し周りを見渡すことさえできれば、もっと広い心になれる気がするんですけどね。