目先の経営と3年後の経営、要らなくなるのは社員も経営者も同じ
我らが斎藤兄貴が、背筋が凍りそうなタイトルを書かれています。
自分は「3年後に必要な存在」だろうか?(ネットコマースブログ)
AI、ロボット、IoT、クラウドなどなど、テクノロジーの進化に伴って、単純労働者のみならず、さまざまなところで「人間」そのものが要らなくなってきています。部門そのものが要らなくなれば、そこをマネジメントする人も要らなくなるという状態。
お客さまの経営や業務、社会や経済の変化、テクノロジーやビジネスのトレンドは、日々に変わり続けています。これまで常識だと思っていたことが、あっという間に非常識になってしまいます
僕の知り合いの会社の中には、創業者を含めて経営者を追い出す会社も何社か出てきています。まさに、アップルを追い出されたスティーブ・ジョブズ氏のように。アップルの場合は、あのときの判断としてそれが正しかったのかは分かりませんが、その後にスティーブ・ジョブズ氏を呼び戻したことで、アップルは超がつくほどのV字回復を遂げました。
一方で、例えば僕自身は3年後も今のポジションに必要なんだろうか、ということも考えてしまいます。まあ、会社としては僕が100%株主ですので、追い出されるということはありませんが、そういうことではなく「自分という存在が、必要であり続けられるか」ということだと思います。
斎藤さんが書かれているリストラの分類のような「3年後に必要」「今は必要」「今でも代替がきくし、3年後に期待できない」というところに入らない人間でいるためには、何を、どう取り組んでいくべきか。自分自身をブラッシュアップしていくためには、どうなのか。
そして、ブレない会社であり続ける一方で、変化し続け、ニーズに対応し続ける会社であるために、自分は何をするのか。個人と法人の両方の「人格」の「今」と「未来」を考えるのが経営者の仕事。それが出来ないのであれば、追放されてもしょうがないのかもしれません。