働き方と評価、収入を考えるのは誰の仕事?
昨日、サイボウズ式を拝読して感じたこと。サイボウズさんは、以前ブロガー定例会で講演いただいた際に、類稀な企業体質をお持ちになっていて、他の企業が一朝一夕では真似できない存在であるということ、しかしそれは目指すべき方向性を築いてくださっているということを感じていました。この記事の中でも、青野さんは以下のようにおっしゃっています。
長時間労働について僕は賛成でも反対でもないんですよ。「みんな好きなように働きゃいいじゃん」と思っています。一律であることから、多様性が失われてつまらない会社になっていくと。 (中略) 「女性をなんとかしよう」ではないと思う。男性でも女性っぽい人もいるし、女性でも男性っぽい人もいる。いろいろな人がいるのだから「一人ひとりちゃんと見ようぜ」と。短く働きたい人もいれば、育児大好きな人もいれば、仕事が好きな人もいるわけです。そういう人たちが集まって一人ひとりが働きやすい会社を作ろうという考え方でいかないと。 結局ルールを決めてやりましょうとなった瞬間、また働きにくい人、生きにくい人がでます。まずは「一人ひとりをみよう」という発想が大事なのではないかと思います。
風土や意識ではないんですよ。要は評価ですよ。評価基準が男女共同参画と噛み合っていない。それだけですよ。 風土とか意識という言葉は大嫌いです。今変えなければいけないのは、日本全体の評価基準だと思います。
正しいお話と好き嫌いがゴッチャになっていて分かりづらい文章ですが(笑)、要は「働き方を変えるのは、評価制度とセットになっていないければならない」とことであって、そこはごもっともだと思っています。
働き方、評価制度と来て、そして大事な収入。素晴らしい働き方で、評価制度も整って、でも最低賃金ギリギリではなあ、という方が多いでしょうから、そこも納得のいく落とし所を考えなくてはならない。「働かないほうがマシ」な収入では、働いてくれませんからね。
多様化を認めるということは、多様化を考えださないことには、認めるもなにもないわけですね。そこを考えずして、会社批判ばかりしても決して自分の働き方も評価もよくならないし、収入を増やすなんてところには到底たどり着けない。
サイボウズ式を拝読して、いろいろと触発された今日このごろです。当社もまだまだ改善の余地があります。