社長なんてサディスティックな人には務まらない
伊藤洋一さんが先週のポッドキャストの中で、日本型リーダーはなぜ失敗するのか
という本を紹介しておられたので、ちょっと気になって読んでみました。著者は半藤一利さんという82歳の大先輩で、文藝春秋で週刊文春、月刊文藝春秋の編集長を務めたあと、同社の専務取締役だった方です。
本書の中で、日本型、というかダメなリーダーの典型例を見て膝を打ちました。(ウソです、納得した、という意味の比喩です)
太平洋戦争のはじまる直前の、永野軍令部総長の有名な述懐があります。「中堅の参謀たちがよく勉強をしている。あの連中に任せておけば、まず間違いはない」
たしかに、やれレーダーだ、やれ酸素魚雷だと、日進月歩の近代兵器の旧変化にはついていけなかったのでしょう、ロートルには。それゆえに"専門家"に任せるのがいちばん、とせざるをえなくなり、時代遅れのリーダーなんかいらない、ということになるのは、あるいは当然なところもあった。しかし、それは決してやってはいけないことなのです。(79ページ)
これは戦時中のことなので兵器の話になりますが、現代に置き換えるとITに相当するのだと理解しました。ITは日進月歩。しかし、それは手段にすぎないのですよね。IT導入が目的ではない。導入することで実現したいことが重要なんですよね。
本書の中で、何度も「権限を発揮して責任をとらない」将軍の話、「権限すら発揮しない」将軍の話が出てきますが、いずれも「地位をひけらかし、威張るだけ」のとても尊敬に値しない人たちが登場しています。中にはあまりにひどくて、一兵卒すら敬礼しなくなった、という将軍も紹介されています。
僕たち零細ベンチャーはもちろんのことですが、社長が威張るだけになってはいけないですよね。自らが理解し、具体的な指示を出せなくてはなりません。「○○に尽力せよ」という指示では、部下は何をしていいのかわかりません。社長自らが、その中に飛び込む覚悟がなくては務まらない時代、いや、実は前からそうだったのだと思いますが。
僕が何度かご紹介している、ゲーム会社、ビバリウム社長の斉藤由多加さんが日経ビジネスオンラインに書かれたコラムがあります。
社長という職業、社会的な響きはいいかもしれないが、一言でいうならば体のいい雑用だ。
〜(中略)〜
そもそも中小のゲーム会社の社長なんてのは、コンビニ弁当を主食とし、会社のソファをねぐらにすることを運命づけられた職種である。さらに言えば、育ったと思った人材はとっとと辞めていってしまう業界なもんだから、社員に給料を払いながら社会適応の授業をしているような割の悪さがある。
この記事を笑いながら読むのは簡単なことですが、同じ「社長」という仕事をやっている人間からすると、笑うどころかお腹が痛くなる思い。社長が威張り散らしても何も生まれません。むしろ、大企業に行かずに自社に来てくれた社員に気を遣いながら、業務をまっとうしていく、という任務があるのみです。
最近、イジメとか体罰という暴力や犯罪の話がありますが、そんなことから最も縁遠いのが「社長」という人たちかもしれませんね。そして、「僕は技術には疎くて・・・」と言ってITから最も遠いところに行こうとする社長では、今後が厳しくなるようにも思います。それは、昨年僕よりも20歳以上の大先輩である神奈川県情報サービス産業協会の池田会長がサクサクとスマートフォンを使いこなしていることを見ても実感できました。
自分自身も、このあたりはきちんと認識していないといけないなあ、と感じた週末です。