議論をするのが会議、報告だけならメールで済むわけで
今朝はスカイツリーが映える、キレイな空です。少しずつながら、夜が明けるのが遅くなってきましたね。
1週間ほど前の日経新聞(Web版)に、ユニクロのお話が掲載されていました。ユニクロの柳井社長に、真っ向から議論を挑む執行役員がいるそうです。ユニクロと言えば、なんとなく柳井社長の独壇場のようなイメージを持つ方が多いと思いますが、そうではないそうです。
おそらくそこはイエス&ノーで、 中身を伴わない議論なら聞いてもらえないでしょうし、自社にとっていいと思える議論なら大歓迎、ということなのだと思います。なぜ自分がいま、それを主張するのか、ということですね。本当の意味でのイエスマンなら要らない。ただ、方向性が一致したうえでの意見は、ぜひ出してほしい、ということなのでしょう。
ちょっと記事が見つからなかったのですが、放送作家のおちまさとさんが、以前こんなことを仰有っていました。
会議は何日も前から始まっています。ちゃんと準備することが必要です。僕だって、前の晩は寝られないくらい考えてから会議に臨むのに、当日いきなり「今日は何の会議でしたっけ」なんて若いヤツに言われたら「お前、帰っていいよ」と言いたくもなりますよ。
ここでいう準備というのは、報告するための準備だけではないと思います。前職でグループになりたての会社の会議に参加したところ、本部長クラスの人が報告書だけを持ち寄っていて唖然としたことがあります。議論をする雰囲気はないですから、僕が質問をすると驚かれる。これは報告会であって会議ではないですし、だったらメールで済んでしまうのですよね。
何も議論をふっかけることがいいことだとは思いません。和気藹々としていても、明確にアウトプットが出ている会社もありますし。大切なことは、どういうアウトプットを出そうとしているのか、そこを考えた時に何か障壁があるのか、その障壁はどうすれば乗り越えられるのか、そのことに周りの助けを必要とするのか、あるいは経営者の助けが必要なのか、といったことを多面的に考える場、とも言えるのだと思うのです。
話が拡散してしまいましたが、会議に参加して何も発言しない、というつもりなのであれば、参加しなくていい、と言われて当然だと思います。以前、とある通販をやっておられる会社の企画会議には、二週続けて企画案を持ってこない社員は三週目には呼ばれなくなる、ということを伺ったことがあります。これを厳しいと思うのか、当然と考えるのか、でしょうか。
僕も会議に参加する機会が増えていますので、その辺りを意識しながら準備しなくては、と感じた週末です。