私は評論家ではないから、自分で作る
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僕が小学生の頃好きだった歌手。ミッシェル・ポルナレフ。(小学生らしくなくてすみません)当時、アルバムを一枚持っていただけでしたが、文字通り擦り切れるほど聴いていたのを憶えています。彼が、当時なんだかの雑誌の取材に対して言った言葉です。
「他人の作ったもので、気に入ったものはない」
当時は、ファッション的にも最先端だったミッシェルは、誰にデザインしてもらっても気に入らなかったそうで、結局自分でデザインし始めました。その時に言った言葉です。
たしかに、自分でデザインできる人なら、そうするのも方法かも知れません。ただ、僕が小学生ながらに「すっごい!」と思ったのは、彼の次の言葉でした。(言語で何と言ったのかは存じ上げません)
「自分で作らないで、他人の作ったものを批判するのは評論家どもがやればいい。私は評論家ではないから、自分で作る」
考えてみると、今の僕の土台はここから形成されています。ファッション、料理、音楽、もちろんビジネス。何においても、自分でやるわけでもないのに(できる、できない関係なく)評論するのは僕の好みではありません。それは、評論であり、ともすると揶揄になりかねないんですよね。だから、言わない。
最近、ツイッターなどを見ていると、なんだか評論家なのか、評論をする人が増えている気がして、とても気になっています。いいのかな、それで、と。評論して何かがよくなるのならいいのですが。
評論するくらいなら、提案する。こういうスタンスになれば、いろいろなものが良くなる気がしています。
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