批判する前に、今の自分を客観視できているか
神田昌典さんの優しい会社
という本を読んでいます。会社に不平不満だらけの課長が、あるタイミングで46年前のニッポンにタイムスリップしてしまう、という物語なのですが、ふと気付かされることがありました。
この課長は、46年前の自社がものすごく活気があり、人々は前を向いて歩いていた、ということを知ります。今の日本は、通勤時に前をまっすぐ向いて歩いている人は、とても少ないですよね。ケータイをいじくっている人もいますが、なんとなく斜め下を向いて歩いている人が多い。しかし、それは以前からそうだった、というわけではない、というストーリーです。
本当に46年前はそうだったか、という近代史の検証をしたいわけではありません。この課長も46年前のニッポンをなんとなく批判していたことに気付かされます。
僕自身もそうなのですが、ついつい評論家になろうとする人が多いように思います。誰かが何かをすると、それをストレートに評価せず、後出しジャンケンのように批判を始める人が少なくないなあ、と。いや、人がやっているのを見て、自分もありがちだと気付くわけですが。
批判、評論ってラクですよね。まして、テレビに出てくる○○評論家の方々のように、ちゃんと物事の全体を捉えて、フェアな評論をしているのならともかく、片手落ちの情報をもとに評論してみたり、自分の好き嫌いや思い込みで評論しようとする。ここには、何も新しいものはないし、何かが産まれるわけではありません。当たり前ですけど。
我々ビジネスパーソンにとって大事なことは、結果を出すことなんですよね。当社で言えば、顧客企業にとってスマートデバイスを導入した結果、営業実績に反映したり、効率化に貢献できたり。それで初めて、我々の存在意義があると証明できるわけです。評論なんて、僕たちの仕事ではないわけですよね。
神田さんの本は気づきが多いのですが、今回も自戒を込めて拝読しています。