自分の利益と他者の利益:いま改めて正義の話をしよう
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「正義(せいぎです、まさよし、じゃなくて)」という言葉を見ると、ハーバード白熱教室を思い出す方も多いと思います。特に東京大学でおこなわれたものは、今はiTunesUで無料でダウンロードできるので、ぜひ見ていただければと思います。
ご存じの方も多いと思いますが、人の生死について、スポーツ選手の年俸と政治家の年収との比較など、興味深い議論が繰り広げられました。
一方、僕たちビジネスパーソンにとって、生死の話に至ることはあまりないわけですが、「利益」の話は頻繁に出てきます。粗利、営業利益といった企業レベルの利益もありますが、個人の利益というのもあります。賞与などに反映される評価から来る利益もあれば、総額をどのように分配するか、といった利益もありますね。
ピザにたとえると分かりやすいと思います。ピザを人数分で均等に切り分ける。ピザを食べるときには、当たり前のことだと思いますが、これがお金になると、必ずしもそうはならない。
年齢、役職、経験、そして実績などを鑑みて、ある一定の比率で割ることになります。しかし、個人間だとそうなるとも言い難いわけで。
いわゆる「鉛筆をなめる(意図的に操作する)」状況って、意外とあると思うんですよね。 僕も過去に何度か「う〜ん・・・」と感じたことがあります。口に出すほどではないけれど、なんとなく納得いかない、という状態です。
ここには、正義というか、欲というものがあったりするので、結構ややこしいのですが、少なくとも「意図的」である以上は、フェアではないわけです。フェアにするためには、切り分けるロジックをはっきりさせ、そのロジックを公開する必要がありますから、それが開示されないということは、フェアではないということになりますよね。
ここがフェアにできるようになると、健全なビジネスパーソンと言えるでしょうし、我々であれば健全な経営者と言えるのだと思ったりする週末です。フェアである。言葉では簡単ですが、実行はとても難しいのですよね。でも、フェアでありたい。そう思い続けることが必要なのでしょうね。自分自身への投げかけでした。
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