「カッコいい」が自分のポリシーでありたい
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竹内さんが「仕事を通じて「格好いい大人」になる」ということを書かれています。同意ですね。
僕が20代の頃は、バブル絶頂期。ところが、僕がいた業界のせいか、いた会社のせいか、あるいは他の要因によるかも知れませんが、全然そういう「いい思い」をした経験がありません。マハラジャというディスコが大流行でしたが、月に一回行くのが精一杯。バブルへGO !!という映画を見ましたが、あんな世界は僕にはありませんでした。
でも、取引先にはいろいろ豪快にお金を使う人がいて、当時はそれを「カッコいい」と思ったことも何度か。今から思うと、いろいろなんですけどね。
30代、40代と時間が経つに従って、カッコいいの定義が変わってきました。お金を派手に使うことではなくて、でもお金が無くて割り勘時にお金が足りない、なんてことはありたくない。部下や後輩と飲みに行くなら、少し多めに払う人間でありたい。
もちろん、お金だけでなくて、あたりまえだけどなかなかできない 37歳からのルール に書いたような部下にやってみせることが出来る上司であるとか、人付き合いには、give&give&giveで望める人間であるといったことも大事な要素です。
これって、いわゆる「大人であること」として、平穏無事、波風は立てない、といった生き方を指しているわけではありません。波風が立とうが、言うべき事は言い、やるべきことはやる。しかし、他責にしないといったことがあるわけですね。人のせいにする人間、何かとあれば人に腹を立て、攻撃するのはカッコわるい。
そうだ、子供たちは格好よく働く大人たちを見てあこがれるんだな。「早くお父さんやお母さんみたいになりたい」と。
いま自分に子供がいる、いないは関係ないと思います。横断歩道で信号待ちをしていて、子供たちがいる前で平気で赤信号を渡っていく大人、自転車をこぎながら携帯電話で話している大人、整列乗車を無視して座席を確保するために駆け込む大人。全部カッコわるい。そんな人たちと争うのではなく、「自分はカッコよくありたい」と思い続けることで、それぞれの場面で「これはカッコいいだろうか。カッコわるくなっていないだろうか」と、判断できるように思います。カッコいい、が自分のポリシー。そう思っていると、意外なことに気付くものですね。
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