京都で感じる、おもてなしビジネス
僕が若い頃は、京都ってどこか気取っている感じがあって、あまり好きではありませんでした。むしろ、砕けた感じのある神戸のほうが好き。
今は(僕が)だいぶ変わりました。京都の「はんなり」が好きで、どこに行っても「おもてなし」を感じるからです。
「京都」と言えばナンでしょう。歴史のある街であり、お寺がたくさんあって。一方で、京都発の企業も多いですね。オムロン、京セラ、任天堂、ワコール、餃子の王将。僕たち大阪の中心地にいた人間からすれば、京阪沿線にあるパナソニック、三洋電機は、京都に近い感覚がありますし。
大阪出身の僕が感じる京都は、独特の文化を持っており、よそ者を受け入れない、といった印象がありましたが、最近よく行くようになって感じるのは「おもてなし」がある、ということです。
おもてなしをネットで調べると「客を歓待すること。客の世話をすること。」とありますが、おもてなしの本質は歓待し、世話をするだけではない、ということです。客が何を欲しているか、言語化されていないことを感じ取って提案する力が必要になります。
京都市内で生まれ育った商人は、その心が受け継がれているのではないか、と感じています。もちろん全ての人ではなくて。
前書きが長くなりましたが、最近はマスコミが不況を煽るせいか、おもてなしの心を持った人が減っている気がします。サービス業はもちろん、社内、社外の人がどう考えていて、どうしてあげるとより良くプロジェクトが進むのか、といった考えです。自分、自社の利益ばかりに目がいき、相手に対する配慮のない言動が見られるということです。
たしかに自分のことは大切だし、自社の利益は確保しなくてはならないわけですが、Give and Takeと言いながら、TakeできるまでGiveしようとせず、中にはTakeが足りないと不満を漏らしている間に、Giveすら忘れ去ってしまう。そんな感じです。Win-Winと言いながら、自分と相手の間にあるWinだけ考えて、相手の先にいる顧客や社員といった人たちを忘れ去ってしまい、Win-Win-Looseになってしまっているような。
京都では、観光地のいわゆる「一見さん」しか来ないお店でも、気持ち良い接待をするのが一般的です。観光地でお茶を飲む、観光客しか来なさそうなお店で食事をとる。そういうところでも、丁寧に対応してくださいます。言葉の分からない外国人たちからも、ほっとした表情が読み取れる瞬間です。
(京都人は、行動と本心が別だ、という説もありますが、大事なことは振る舞いですから)
最近、自分の小さな「箱」から脱出する方法、という本を読み始めました。ご存じの方も多いと思いますが、2006年に発売され、現在第22版まで来ているベストセラーです。恥ずかしながら、最近知ったのですが。
この本を読みながら、ビジネスの現場においては「おもてなし」を忘れかけていた自分に猛省です。おもてなしビジネスというと小手先に感じてしまいますが、そうあってはいけないのだと感じました。