有償・無償は、お金だけではない
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ぼくは基本的に「仕事」というのは対価を得るもの(期待して行なうもの)だと思っています。だから金銭であれ現物であれ、あるいは○○さんとデートできる権利であれ、それをやることで自分に具体的かつ直接的なメリットがあるものでないと、仕事とは思っていません(それ以外は「趣味」や「道楽」の領域だと思っています)。
なるほど、ま、そりゃそうですよね。
河野さんのエントリーを読んで感じたのですが、僕の場合は有償・無償をお金だけで表現していたのかも知れません。本来は、「お金をもらわない変わりに・・・」があるんですよね。
この人とお付き合いすると勉強になるとか、もっと下世話な表現だと「この人と一緒にいると、いろいろと得をする」とか。デートで仕事をするかどうかは疑問ですが(笑)、ま、そういうことなんでしょうね。
河野さんのエントリーにあるように、一番大事なことは信頼関係ですよね。「この仕事に、いくら支払う」というのも信頼関係ですし、「来年、倍にして支払う(ようにする)」というのも信頼関係。信頼の中で、「ま、あの人ならしょうがない」と思えるのか、「前にたくさんもらったし」とか「恩返しの意味で」というのもあるのかも知れません。
有償にせよ、無償(お金をもらわない)にせよ、その仕事の対価はいくらなのか、あるいは何なのか、を意識することは、とても大切だと感じます。そういう意味でも、僕の周りは「対価」というか、「価値」のある人でいっぱいなのは、幸せだと再認識しました。
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