玄田有史さん「希望のチカラ」(続き)「弱い絆」と「壁」のお話:PMシンポジウム2012基調講演から
PMシンポジウム2012、昨日9/7(金)で2日間のイベント閉幕しました。毎年お招きいただき、感謝いたします。
私のセミナーでは、「若手育成」をテーマに2.5時間を演習だらけで構成しました。ペアでの体験、話し合い、4人グループでのトークタイムなど。
2.5hを講義ばかり聴いていても仕方ないですし、話自体は、「まあ、そうだよね」という”当たり前”なことが多いと思うので、「頭でわかる」けど「できるかな?」ということを体感するためのワークをたんまりと。楽しそうに参加してくださいまして、ありがとうございました。
来年2013年のPMシンポジウム2013は、11月末開催だそうです。(会場の船堀タワーホールの大改装が秋に予定されているため。)
さて、昨日(9/7)のエントリーの続き。玄田有史さんの「希望のチカラ」のお話です。
社会学には「絆」をtie(タイ)と言い、2種類「強い絆」(strong tie)と「弱い絆」(week tie)があるとされている。強い絆は、家族とかコイビトとか神佑とか。この「強い絆」は、「安心の源」。
一方、「弱い絆」(week tie)は、たまにしか合わない人などゆるやかな絆。自分と異なる世界で生きている人、異なる情報や価値観を持っている人。そういう人と接すると「あ、そうなのかあ」「へぇ、そういう風に考えてみたことはなかった」など気づきが得られ、そこから「やってみよう!」と思えることもある。
これは「希望の源」なのだ。
閉塞感があるとか、希望をどう見つけたらいいのか、と思う時、「弱い絆」を持つことは大事。これらの日本では、「弱い絆」をどうやって作っていくかが問われているんじゃないか。
主旨はこんな感じ。
いやぁ~、この「弱い絆」が出てきた時、思わず、「シンクロニシティ」という言葉を思い出してしまいました。つい数日前に「弱い紐帯(チュウタイ)」について書いたばかりだったので。
私が行き詰った時、社外に出て人に会ってみた、心の師匠を外に求めた、という話でも「弱い紐帯」を結びつけていました。 (玄田さんは、あえて「弱い絆」とおっしゃいましたが、「week tie」は、書籍などでは一般に「弱い紐帯」と訳されていることが多いように感じます。)
考えていることと、その言葉を使う講演に参加すること。 こういう”タイミング”って世の中にはあるんですよねぇ。
この話とは別に、こんなトピックも。ある社長が新人に向かって垂れた訓話。
「君たちはこれから大きな壁にぶつかるだろう。その壁は絶対に乗り越えられない。大きな壁にぶつかったら、その前で”ちゃんと”うろうろしていること。キミ達に期待しているのはそれだけです」
この話に対し、玄田さんは、こう考えたそうです
ただつったっていても何も変わらない。諦めたり、見切ったりして背中を向けてしまえば、「逃げ癖」が付くだけ。よそに言ってもまた別の壁にぶつかるだけだ。でも、壁の前でうろうろしていれば、壁に小さな穴を見つけて、自分で穿っていくことができるかも知れない。はたまた、誰かがやってきて、自分をひょいと持ち上げて壁の向こうに連れて行ってくれることもあるかも知れない。自分はうろうろしているだけなのに、壁のほうが崩壊していくこともある。大切なのはうろうろすること。
高い高い壁にぶち当たった時、逃げちゃうとか「この壁は変だ。私は悪くない、壁が悪い」と”すっぱい葡萄”のような捉え方をしたりすることはできる。また、無理して、一人で頑張りすぎて壁を突破することもできるかも知れない。でも、それはそれで疲弊したり、無理がたたって壁の向こうに行っただけでへたり込むかも知れない。
そんな時、高い高い壁の前で「うろうろする」とは、ぼーっとうろうろすることではなく、どうすればいいのか考えたり、他者の助けを得るための算段をしたり、自分ができることと他者のチカラを借りてできることを徹底的に突き詰めていくことなんじゃないと思ったのです。
そういえば、内田樹さんが、
「サバイバル能力が高い人、というのは、自分で何もかもできる人ではなくて、”この人がいないと私は生きていけない”と思うような存在をたくさん持っている人だ!」
これもまた、「強い」「弱い」問わず「絆」「紐帯」のことを指していると思うのです。
「強い紐帯」(家族や恋人、親友など)は「安心の源」。
「弱い紐帯」(ゆるいつながり)は「希望の源」。
なるほどなのでした。