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人材育成の現場で見聞きしたあれやこれやを徒然なるままに。

「誰かの役に立つこと」と「その喜び」を考え、体験すること

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「好きなことを仕事にすると幸せか」とか「趣味と仕事は分けておいたほうがいいのか」とか、まあ、昔から「好きなこと」と「仕事」は対立構造で語られたり、あるいは、同一のものとして扱われたり、といろいろな意見がありますけれども、最近は、若いうちから、「好きなことを早く見つけなさい」「なりたいものを早く決めなさい」と言う風に言われるケースも増えているやに聞きます。

最近は、と言いましたが、かくゆう我が家も、父が小学生のワタクシに「中学1年になったら自分が将来なりたいものをきちんと考え、答えられるようになっておくこと!」と宣言し、中1になったある日、親子面談(田中父と私)が催され、

「淳子は何になりたいんだ?決めたか?」
「はい、学校の先生に」
「よし、だったらそれに向けて努力しろ」
「はい」

といった会話を交わしたものでした。

6歳離れた妹との時、父は同じことをしようとしたのですが、母にハゲシク止められ、だから、たぶん、妹はその「親子面談」を体験していないのではないかと思われます。母がハゲシク止めたのは、「そんな小さい(中学生)時、自分の将来を宣言させたら、それによって、自分の選択肢を狭めてしまうのではないか」という懸念、あるいは、危惧からだったのであります。

母曰く、「小学生が思いつく職業なんてたかが知れている。それなのに宣言しろと言われたら、限られた数種類の職業からしか答えられないだろう」とのこと。たしかに、ワタクシが「学校の先生」といったのもそのくらいしか身近な職業が思いつかなかったから、なのかも知れません。

その後、どういう風にして今の職業に至ったかといえば、大学受験では、「カウンセラーになりたいなあ」と心理学科を受験したものの落ちて、浪人中に、「心理学より教育学」と転向?して、一浪後、「教育学科」へ。これは、教員養成課程ではないので、純粋に「教育学」を学び、はてさて、就職、となった時に、リクルート社から送られてきた電話帳みたいな就職ガイドブックを端から端まで読み、「DEC」という会社に「技術教育エンジニア」という、「人材教育の仕事があるぞ」と応募し、採用され、そして、あれこれあって現在に至る、という、「あれ?結局は中1時点で宣言したものと、さほど離れてはいないなあ」というところに落ち着いてはいるのです。

これが、父との面談によって規定されてしまったものなのか、そもそも、やはり、そういう志向だったのか、今となっては知る由もありませんし、理由などはどーでもよいとも言えます。

うちの父は、将来なりたいものを決めろ、中学1年の時にはきちんと明確にしろ、という教育方針でしたが、親御さんというのは、「子どもには好きなもの、好きなことをさせたい」と思うケースが多いようですね。父の「明確にしろ」だって、「好きなものを決めたら、そこへまい進しろ」という考えだったわけですし。

「好きなことを探しなさい」「好きなことを見つけなさい」というのがあまりに強調されると、たとえば、入社した後、すぐにはその「好きな仕事」を担当させてもらえるとは限らない(というか、実力も伴わない時点では、「好きなこと」を担当させてもらえるほうが稀でしょう)わけで、それなのに、「好きなことが出来ないから退職します」などと離職するなんてのは、「おーい、ちょっと待って~、まだ早いぞー」と思わなくもなく。(時々、「ここにいたら好きなことができないので、辞めます」と辞めてしまった、という話を聞くのですね。本当に時々です。)

本当に「好きなことを探し、好きなことを目指すこと」がいいのかなぁ、と思っていたところ、岡田斗司夫さんの「悩みのるつぼ」(これ、朝日新聞の記事にもなっていると思います)の「Q&A」を見て、「ああ、そうか!」と妙に納得してしまいました。

「子どもには好きなことを見つけてそこへ進むようにさせるべきか」といった母親からの相談にこう答えています。

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子どもには「人の役に立つ」ことを教えるしかない。今の時代に親が子供に保険として与えるべきは、「他人の役に立てて、感謝されるのは楽しい」という成功体験

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しみじみとこの回答を読みました。

「好きなことを探せ」は悪くはありませんが、そこだけ強調すると、「他者に役に立って、感謝されること」という、働く際とても大事な”基本”というか”根本”が抜け落ちちゃうんだなあ、と思ったからです。

以前、このブログでも書いたのですが、「私の仕事は誰を喜ばせているだろう」ということを考えてみるのは大切だと思っています。そこを忘れると、ただの自己満足になったり、目先の利益にとらわれて「しないほうがよいこと」に手を出してしまったりしてしまうかも知れないから。

モチベーションという観点でも、「誰を喜ばせているだろう」、「これによって誰が喜んでくれるだろう」を意識していることは意味あることだとも思います。

「他人の役に立てて感謝されることは楽しいことだよ」ということを子どものころから、考えさせ、さらに、体験させていく。うーん、なるほど、なるほど。

それが幸せに生きていく道なんじゃないか、親が子にしてやれることはそこなんじゃないかと岡田さんはおっしゃっているのですけれど、確かにそうかも、と思ったのでした。

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