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人材育成の現場で見聞きしたあれやこれやを徒然なるままに。

「ノスタルジーで生きている」って困るんですよね

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先日、ある方とお話をしていたら、「超ベテランの世代には、時々、”ノスタルジーで生きている”タイプがいて、それ、とても困るんですよね(苦笑)」という言葉が出てきました。

ノスタルジーで生きている”。

うう、耳が痛い。要注意、要注意!

以前このブログで紹介した、松尾睦さん『「経験学習」入門』にも、「30代以降の成長実感の鈍化に関しては、”昔のヒーロー”から脱却できない人がいる。どうやって、学びを棄却するか(Unlearn:アンラーン)が課題」ってなことが書いてありましたが、この”昔のヒーロー”というのも同じことなのかも知れません。

はたまた、ちょうど今朝通勤電車内で読んでいた本。『プロフェッショナルの働き方』(高橋俊介著、PHP新書)には、「名経営者は、なぜ晩節を汚すのか」という節があり、これなども似たような話かも、と思いました。


私も社会人になって27年目、しかも、人材育成業で27年目なので、会社は変われど、経営者も親会社も時々変われど、自分自身の仕事が大きく変化しているわけではないので、ついつい、「昔はこうだったなあ」と”ノスタルジー”に浸ることがあります。

”ノスタルジー”に浸ること自体は悪いことではないかも知れません。今の自分があるのは、これまでの積み重ねですから。

でも、その”ノスタルジー”を後輩たちに押し付けたり、何かを手掛ける時にその”ノスタルジー”から一歩も外に出られなかったりしたら、だめなんだと思うのです。なので、意識の上では、「昔は昔、こういうこともあったけどね」、でも、「今は今、こうすべきならしたほうがいいよね」というスタンスで生きているつもりでおりました。

しかし、この”ノスタルジー”問題”、実は、自分の意識の問題だけではなく、周囲が私をどう思っているか、ということも大事なんだなぁ、ということに最近気づきました。

たとえば、私が20年くらい前に開発した「プレゼンテーションスキル」の研修があります。IT技術と異なり、普遍性の高い内容なので、しょっちゅう改訂をするわけではありませんが、ちょこちょこ手直しをしてきたものの、数年前、抜本的に見直しをし、大きな改訂をしました。後輩たちの手によって、です。

しかし、最近、こんな話を耳にしました。

「淳子さんが作ったテキストを大幅に改訂してしまったのだけれど、それは良かったんだろうか」と。

ひえー、びっくり。

時代に合わせて、どんどん良いものに直していってねー、と思っていたのに、後輩の方が、「先輩の成果物を改訂するなんて、失礼じゃないか」と気に病んでいた、というのですね。

もしかすると、”ノスタルジーに生きている”つもりはなくても、周囲からは、”ノスタルジーに生きている”ように見えていたのかも知れない、と思ったら、ちと恐ろしくなりました。

「ジョハリの窓」という考え方がありますが、自分の知っている自分と他者から知られている自分の像というのは、必ずしも一致しないわけで、「淳子さんが作ったテキストを直してしまってもよかったんでしょうか?」と後輩に恐る恐る尋ねられたということは、私自身の”プレゼンス”(見え方)をふと反省させられる出来事でありました。

人は、他者の”ノスタルジー”には敏感ですが、自分の”ノスタルジー”には鈍感です。

まもなく、新卒新入社員がやってくる季節。もう親子ほどの年齢差ではありますが、自分のよい”ノスタルジー”(たとえば、普遍性の高いマナーや仕事における心構えのようなもの)は伝えつつ、悪い”ノスタルジー”(昔は昔、今は違うでしょ?的なもの、なのかな)については十分ココロしていこうと思うのであります。


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