社員表彰制度を生かすも殺すも授与の仕方次第。
「表彰されたね。おめでとう!」と後輩に声をかけたのに、なんだか浮かない顔。そして、彼女が口にしたのは、こんな言葉。
「2万円の目録もらったんですけど、このお金、なんだかちっとも嬉しくない。」
「なぜ?何かあった?」
「だって、なんで表彰されたのか、マネージャが全然わかってないみたいだったんだもの。大変だったけど、楽しく取り組んでいた仕事だったのに、ああいう風に表彰されて、返って、私がしたことの輝きを失うような気がして・・・。だから、このお金、なんか使いたくない」
「なるほどね、そのキモチもわかる」
・・・もう20年近く前の話なので、時効だろうけれど、こんな会話を交わしたことがある。
社員表彰制度。多くの企業で何らかの形で行われているのではないだろうか?
たとえば「月間表彰」、たとえば「四半期表彰」、あるいは、「上半期・下半期表彰」、そして、「年間MVP」などなど。
表彰する、ということは、「頑張ったね!」「これからも頑張ってね!」「ありがとう!」という、該当社員への労いと動機付けを意図し、それ以外の仲間たちには、「こんな風に表彰するから、皆も頑張れ!」「次はキミの番だよ!」と鼓舞する効果も期待してのことだと思う。
ところが、この例のように、「表彰されて返って嫌になった」「やる気あったのに、やる気がちと損ねられた」と思う人が出てしまう。
なぜか?
表彰制度に問題があるのではない(たいていは)。
表彰式、その授与の仕方に原因があるケースが多い。
●社長や事業部長など、かなりポジションが高い人が表彰状を読む。実は、部下の実績の具体的なことは知らないから、表彰状に書いてある授賞理由などを、「棒読み」する。時に、つっかえたりする。あるいは、大切な箇所を読み間違えたりする。
これによって、「ああ、全然わかっていないんだな。理解してくれてないんだな」と授与される側は、がっかりする。心からがっかりする。
「これではよくない、直接の上司が表彰状を読み、自分の言葉で褒め称え、労いたい」と考え、「私に読ませてください」と社長やら事業部長やらに課長などが提案すると、「いや、これは会社としての表彰だから、わしが!」とその役割を譲らないケースも多いと聞く。(「わしが」などと言う社長はまあ、いないだろうけれど。)
だとすれば、せめて予習をしておきたいものだ。
ある企業の例。
数か月に一度、全社員集会があり、そこで「社員表彰」のイベントも議事に含まれている。授与するのは、やはり、社長だ。
しかし、この社長、ちょっと違う。
経営企画部門のメンバに依頼し、各部門の表彰対象者について、事細かにヒアリングしてきてもらい、「何がどうよかったから授賞なのか」というストーリーをすっかり頭に入れて授与式に臨むのだという。
当日は、表彰状や副賞を社員に手渡しながら、「まるで自分がその場にいて、一緒に仕事ぶりを見ていたかのよう」に、メモなど何も見ずに「自分の言葉」で授賞理由を語って、労い、感謝を述べるのだそうだ。
こういう風に扱われたら、受賞する側も嬉しいに違いない。社長が知っていてくれた、社長が理解してくれていた。そこが嬉しいのである。
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社長や事業部長が表彰状を渡す。社内の地位が高い人が授与する。
この事が意味を持つのは、「偉い人から表彰状を受け取れる」からではない。
「偉い人、雲の上のような存在の人が、自分の仕事を理解していてくれた」という部分に意味がある。「知っていてくれた」「わかってくれた」・・・ここが喜びのポイントだ。
もし、表彰状を棒読みしかできないのであれば、受賞する社員の直属上司に授与の儀式は譲ればよいし、そうではない、「わし」がやるのだ、と言うのであれば、もっとちゃんと中身を理解して、「心からの言葉」で相手を労わなくては、逆効果になる。
せっかくの「社員表彰制度」なのに、うまく社員を動機づけできていないケースをよく聞く。冒頭の例は、昔、周囲で聴いた例だけれど、色々な企業にお勤めの方から似たような話を本当によく聞く。
「授与の仕方」。ここが案外大事な部分なのに、「副賞をいくらにするか」「物にするか、現金にするか」「表彰状は和紙がいいか」など、形にばかり目が行ってしまうケースも多いかも知れない。
授与する立場の方は、ちゃんとその理由を理解し、「自分の言葉」で語ろうではあ~りませんか。
それ、すごく大事だと思うのだ。