ネガティブな問題を提起したほうが分かりやすいかもしれないけれど、やりたいことはそうじゃない。そのはざまでいつも迷う。
こんにちは、しごとのみらいの竹内義晴です。
仕事をやっている中で、ときどき迷うことがあります。
たとえば、ボクが扱っていることの中に、ビジネスパーソンのメンタルヘルスやうつ――まではいかないけれども、そういった状況になる前になんとかできないものかな~みたいな――があるのですが、では、「メンタルヘルス」を扱いたいのか、「うつ」がメインのテーマなのか......というとそうではなくて。
また、先日、あるNPO法人のホームページを拝見したんですけれども、そのNPO法人は若い世代の自殺防止をテーマに扱っているらしく、いろんな会社、自治体から支援を受けているみたいです。先日観た報道では、年間の自殺者が何年かぶりに25000人を下回ったそうですけれども、メンタルヘルスやうつの行く末の一つに自殺も考えられるわけで、ビジネスパーソンの自殺予防もテーマにできなくもないかな......とも、思うわけです。
けれども、ボクは――これは、個人的な意見なんですけれども――やっぱり、そっちにはいきたくないわけです。マザー・テレサは、「反戦集会には行かないけど、平和集会には行くわ」と言ったと、聞いたことがあるのですが、ボクがやりたいのは、ネガティブな状況になることを予防したいわけではなく、あくまでも、ビジネスパーソン一人ひとりが、「もっと楽しく働けたらいいのにな~」にあって、それには、ネガティブさはないのです。「楽しくしたい」......ただ、それだけ。
「仕事を楽しく」なんて言葉にした瞬間、「仕事はそんなに甘いもんじゃない」なんて意見もいただくわけですけれども、確かに、仕事をしていると悩むこともあるし、苦しいこともた~くさんあるから、メンタルヘルス的な関わりも必要なときがあります。それは、間違いのない事実です。
けれども、そちらをメインにしたいとは思わないわけです。
一方、冒頭に申し上げたように、時々迷うのです。それでも、「ネガティブな問題を提起したほうが、周りの人には分かりやすいんじゃないか」と。でも、そのたびに、もう一人の自分が言うのです。「お前がやりたいことは、そういうことではないだろう?」と。
仕事をしていると、辛いときや苦しい時がある。それは、事実としてある。だから、単に、「わ~い、仕事って楽し~」とは、お気楽には言えないのかもしれない。
けれども、そういう、苦しい実環境の中から、一つでもいいから、何か、誰に言うわけでもないけれども、「オレ、今日はがんばったな」と、一人自分を労えたりとか、人間関係のいざこざで、いろんな現実はあるわけだけれども、その中でもなにか「あの人との接し方を変えたら、笑顔になってくれた。ちょっとうれしい」とか、そういう、なんていうんですかね。「困難を乗り越える力」とか、その中にある楽しさとか、そういったものを探せる、感じられる人が増えたらいいのにな~とは思っています。分かりづらいかもしれないけれども。
分かりやすいものが氾濫している社会の中で、ボクはそんな、分かりにくいところにフォーカスしているというか、そういう、わずかでもいいから、「今の自分を、今の自分の力で乗り越える能力」みたいなものを、一人ひとりに持ってほしいと心から思うし、誰かや何かに依存するのではなく――もっとも、人が生きるためには依存しあわなきゃならないんだけれども――それでも、自分で生きる環境は自分で整えていく力みたいなものを、持ってほしいな、そんなお手伝いがしたいなと思うわけであります。
わ~っと書いたので、ちょっと分かりづらいとは思うのですが。