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ヘイトスピーチの規制と言論の萎縮

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こんにちは、しごとのみらいの竹内義晴です。

この間、奥さんとささいなことで言い合いをしていたら、こどもから、「パパ、ちくちく言葉は言っちゃいけないよ」と怒られました(笑)。

ヘイトスピーチの法規制が検討されているそうですね。

人種や国籍などへの差別をあおるヘイトスピーチ(憎悪表現)を規制する法案の審議が4日午前、参院法務委員会で始まった。法案は、人種などを理由とする不当な差別的取り扱いや言動で「他人の権利利益を侵害してはならない」と明記。罰則規定はないものの、国に差別防止の基本方針の策定を義務付けるなどした内容だ。

出典:ヘイトスピーチ規制法案審議入り=国に差別防止策義務付け--参院法務委 | ウォール・ストリート・ジャーナル日本版

ちなみに、ヘイトスピーチとは・・・

ヘイトスピーチ(英: hate speech)とは、人種、宗教、性的指向、性別、思想、職業、障害などの要素に起因する憎悪(ヘイト)を表す表現行為とされる

出典:ヘイトスピーチ | Wikipedia

これに対し、自民党は「言論を萎縮させる危険性がある。政治的な主張までも抑制してしまう」として法規制には慎重な姿勢なのだそうです。

法案は、人種や民族を理由にした差別的言動を禁止して、国や自治体に差別の実態調査や防止策を求める内容です。ただ、罰則はありません。これに対して、自民党は「言論を萎縮させる危険性がある。政治的な主張までも抑制してしまう」として法規制には慎重です。

出典:民主「ヘイトスピーチ」に規制を 自民は慎重姿勢も | テレビ朝日

個人的な意見では、ヘイトスピーチを規制しても言論は萎縮されないのではないかと思っています。なぜなら、「ヘイトな言葉を使わなくても、肯定的な言葉を使えば表現できる」からです。

つまり、「○○は問題だ」のような、そうでない対立軸を出さなくても、「私はこうしたい」と、肯定的な表現を使って正々堂々と言えばいいのです。

たとえば、ある人種について、「私は問題だと思う」という個人の思想は自由です。けれども、「○○人は問題だ」「○○人は害がある」では、差別になってしまいます。

「私は問題だと思う」ということは、その背景には、その人なりの「あるべき姿」や「理想像」があるはずです。もし、それが、「単一民族国家」なら、「私は単一民族国家がいいと思う。なぜなら・・・」のように、肯定的な側面を主張すればいいのでは?

また、「○○反対」という表現は、問題点だけの主張であることが多く、「本来はどうあるといいのか」「自分はどうしたいのか」という文脈が含まれていません。対象を単に否定するだけではなく、自分の意見や、「何をどうすればそうなるのか(具体的な解決策)」も考える必要があります。

一方で、「そのように考えなければ発言できないこと自体が言論の萎縮なのでは?」という意見もあるかもしれません。個人的には、人に嫌な思いをさせてまで行う自由は美しくないと思っています(「美しさ」については、以前、職業倫理って、何だろう?―プロフェッショナルとして考えておきたいことにも書きました)。

とはいえ、人が考えたり、行動を起こしたりするきっかけは、「そんなのはおかしい!」「そんなのは嫌だ!」のような、負のエネルギーである場合が多いので、負のエネルギーを肯定的に転換していく度量は求められるのだろうな、とは思います。

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