論理的な話術で論破するか、それとも?・・・優れたリーダーほど「あいまいな言葉」を使う理由
ミルトン・エリクソンという精神科医がいました。彼は催眠療法を得意とした心理療法の第一人者です。
「催眠」という言葉にどんなイメージをお持ちでしょうか。それは、テレビの催眠ショーで観る「犬になりなさい」「ワンワン」、「今からこのレモンが酸っぱくなくなりますよ」「甘~い」のようなイメージかもしれません。
私のコミュニケーションの講座を受けているある人に、「あなたにとって、催眠とは、どんなイメージがありますか?」と尋ねたら、「操作される感じ」と言いました。テレビのショーがそうであるように、多くの方にとって、催眠とは操作的なイメージがあるでしょう。
けれども、ミルトン・エリクソンのそれは大きく異なりました。それは、クライアントが抵抗を抱かないように、クライアントの言葉をすべて受け入れ、普通の会話の中でリラックスさせ、催眠に促し、望ましい結果を得られるようにリードしていく……催眠が特別なものではなく、「コミュニケーションの1つ」だったからです。
エリクソンの言葉づかいの特徴は「あいまいさ」にありました。指示的な要素は含んでいるのに間接的なのです。「これがあなたの問題を解決する方法だ」「あなたのやり方は違います。新しいこの方法を試しなさい」のように押し付けたりはしません。クライアントの内側からの自然な体験を思い出させ、広げ、方向性を与えていく方法でした。
たとえば、このような具合です。
「今日のお昼ご飯、何にする?ラーメンがいいかもしれないし、パスタがいいのかもしれない。それとも、他に食べたいものがある?そうそう、知っていると思うんだけど、この間、この交差点の先に新しいラーメン店ができたんだって。ちょっと食べてみたいなぁと思って。もちろん、○○さんが自由に選んでいいんだけどね。」
ビジネスの世界では、「あいまいな言葉づかいはよくない」と言われています。「かもしれない」とか「思う」とかはご法度。自分の意見は5W2Hで具体的に、論理的に、きっちり言い切らなければいけません。そうでないと、相手を論破できないからです。ビジネスで推奨されている言葉づかいなら、お昼ご飯のこの話は、こんな感じになるのでしょうか。
「今日のお昼ご飯、何にする?今日、私が食べたいのはラーメンです。なぜなら、この間、この交差点の先に新しいラーメン店がオープンしたので気になっているからです」
この2つの会話に、あなたはどんな印象の違いを持たれるでしょうか。「前の言い方は少し、ちょっとまどろっこしい。それなら、もっとはっきり言ってほしい」と思われるかもしれませんし、ひょっとしたら、「いろんな選択肢があり、自由に選ばせてくれながらも、ラーメンを選択するヒントを与えたくれるような感じがした」と思われるかもしれません。
もっとも、お昼のメニューぐらいなら、言い方に気を使うことはそれほどないのかもしれませんが……。
エリクソンの方法論を象徴する話として、大好きな話があります。
【道に乗せて歩かせよ】
エリクソンの少年時代の話です。17歳のとき、エリクソンはポリオにかかりましたが、それ以前は本当に健康で行動的な少年でした。彼は少年時代のほとんどをウイスコンシンの農場で過ごしました。家から数マイルも離れたところに友達と言ったときの話をエリクソンはしてくれました。エリクソンと友だちはその時ある知らない場所にいました。そこは人が旅行したりするような場所ではなく、民家から非常に離れた所でした。エリクソンたちが田舎道を歩いていると、明らかに乗り手を振り落してきたと思われる馬が歩いてきました。馬の手綱は垂れていてその馬はとても扱いにくそうです。エリクソンと友だちは農家の中にはに馬を追い込んでつかまえて、落ち着かせました。それから、エリクソンは「ぼくはこの馬に乗って、飼い主の家に連れて帰るよ」と友だちに話しました。友だちは「誰の馬だか分からないじゃないか。どうするんだ」と聞き返します。「いいから任せておいて」とこたえると彼は馬に飛び乗りました。中庭を出て、馬を右回りさせて道路の方に向かわせました。そして、「どうどう」と拍車をかけて道に戻しました。このようにして道を下っていると、馬は時々道から外れて草を食べようとします。すると、エリクソンは道に戻し、「どうどう」と声をかけます。その道を数マイル下っていくと、馬は向きを変えて、ある農家の中庭に入っていきました。農家の人はその音を聞いて出てきました。「これはうちの馬じゃないか。君はどうやってうちの馬だってことを知ったんだ。私は君とは会ったことはないが……。うちの馬であることは知らないはずだ」。「おっしゃるとおりです。馬をどこに行かせればいいか知りませんでした。でも、馬が知っていたんです。ぼくは馬にまかせて道を走らせてきただけです」とエリクソンはこたえました。エリクソンはこの話をこういう教訓で締めくくりました。「これが心理療法の進め方だと思うよ」
『ミルトン・エリクソンの催眠療法入門(金剛出版)』より引用
エリクソンは催眠療法家なので、「これが心理療法の進め方だと思うよ」と締めくくりましたが、私は、こう締めくくりたいな~と思っています。
「これが自発的なスタッフを育てるリーダーの進め方だと思うよ」と。
たとえば、これは、以前私が実際に体験したお話ですが……それは、去年の夏のお話です。私がコミュニケーションを勉強した師匠のところに、今一度勉強しに行ったときのことです。新潟から東京に行ったので、私の荷物は大きなバッグに入っていました。そのバッグは講義のじゃまにはならないところに置きましたが、他の受講者の目に留まるところに置いてありました。
それが目に留まった師匠は、きっと、こう思ったのでしょう。「ここに荷物があると、他の受講者の視線に入ってしまうのではないか。楽しい学びの時間を作る上で、迷惑になるのではないか」と。
通常、このようなシーンなら、「竹内さん、このバッグは邪魔だから向こうに移動してください」と直接的に言うのでしょう。けれども、師匠はやさしくこう言いました。「竹内さん、このバッグ、向こうに置いておいていいよ」と。
私はとっさに思いました。「あぁ、この荷物、邪魔だったんだな」……けれども、私は何の嫌な気持ちも抱きませんでした。むしろ、申し訳ない気持ちが広がりました。もちろん、急いで荷物を移動させたのは言うまでもありません。
この表現は、直接「移動しなさい」とは言っていないし、かなり間接的です。なぜなら、命令というより、許可だからです。この言葉をかけられたからと言って何も気がつかないかもしれませんし、ひょっとしたら、「別に荷物ば邪魔にはならないのだから、このままでいいではないか」と、移動しない可能性もあるかもしれません。
けれども、直接的な命令に比べると、断然柔らかく、暖かく、しなやかです。そして、私に考える隙間を与えてくれ、自発性を促しています。そして何より、おしゃれです。
優れたリーダーは、このような、「あいまいな言葉づかい」が得意です。それは自信がないとか、単にあいまいなのではなく、「意図的に」あいまいにしながら、指示していることに気づかれるでしょうか。
先週の日曜日、私の講座に参加している受講者の一人は、こう言いました。
『仕事の中ではあいまいな言葉づかいはいけないと言われています。具体的に、論理的に話すのが正しいと言われているので、私は今までずっとそうしてきたし、それが正しいと思ってきました。けれども今日は、「あいまいに話す」という今までとは逆の方法があることが分かり、いろんな可能性があることが分かりました』
だからといって、具体的で論理的で、直接的な指示が悪いというつもりはもちろんありません。緊急度が高い時、緊迫感が必要な時など、直接的な指示を具体的に、論理的にする必要があるシーンもたくさんあるでしょう。 ときには強く言う必要があるシーンもあるかもしれません。
けれども、いつも具体的で論理的で、直接的過ぎるのは温かみがないし、疲れてしまいそうです。
私は、具体的で論理的で、直接的な言葉づかいも大切にしながらも、時には柔らかく、暖かく、しなやかな言い回しができ、内面からの自発性や自分で考えることを促せるコミュニケーターになりたいし、そのようなリーダーと学び合いたいと思っています。なぜなら、そのようなコミュニケーションのほうが人をまとめるときに無理が少ないし、温かみのある人のほうが慕われるし、そして何より、そのようなコミュニケーションは断然おしゃれで楽しい……今日のこの話があなたにどう伝わったか、私には分かりませんが、少なくとも私には、そのように感じられるのです。
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