日本中のみんなが私を好きじゃなくてもいい
こんにちは、竹内義晴です。
たかの友梨さんと神田昌典さんの対談を拝聴しました。
たかの友梨さんと言えば、みなさんもご存知のように、とても華やかな世界で活躍されていますエステ業界の第一人者。以前テレビで、生い立ちを拝見したことがありましたが、その内容は、どちらかと言えば成功者の美談のように映っていました。
けれども、肉声から発せられた言葉はそのイメージとは違い、その裏にたくさんのご苦労があったことを知りました。でも、単なる苦労話ではなく、それが血肉となって、経営者として、そして、女性の生き方として(ボクは男性なので、違う視点で)、人生哲学として大変興味深いお話でした。
お話はたくさんの視点があったのですが、この音声でボクがもっとも引っかかった言葉は、次のような言葉でした。
「日本中の女性が私を好きじゃなくてもいい」
「私を好きで共感できる人さえ来てくれればいい」
「違う考えの人は当然いる」
「誰にでも合わせていたら、誰にでも合わなくなる」
「たかの流で押し通したほうがいい」
これらの言葉を聞いて、妙に「そうだよな~」と思ったんです。
この言葉に引っかかるということは、ボク自身の中に、何かしら、人のことを気にしている(しすぎている?)部分があるのでしょうね。
人のことを気にするというのは、とても大切なことです。気にするからこそ、困っている人が求めているもの、課題を解決するために必要なことが見えてきます。
一方、あまりに気にしすぎると、変に遠慮し、自分らしさを失ってしまいます。
たとえば、このブログもそうです。以前は、「こんなことを書いたら、どう思われるか」というのが怖い時代がありました。けれども、最近は、「すべての方に好まれなくてもいいや。好きな人にお読みいただければ、それでいいや」って感じで、あまり遠慮をすることなく自分自身を出せるようになってきました。
また、ボクはメルマガを書いているのですが、メルマガもそうです。メルマガが解除されるとメールが飛んでくるようになっているのですが、解除メールが飛んでくると正直残念な気持ちもあります。でも、最近はあまり気にすることがなくなりました。「日本中のみんながボクを好きじゃなくてもいい」「ボクを好きで、共感してくださるみなさんが来てくれればそれでいい」・・・このスタンスでいれば気が楽になって、自分を前面に出せます。
「そうだよ、それでいいんだよ」と、何か、後ろを後押ししていただいたような気持ちになりました。たかの友梨さん、ありがとうございました。