車の運転をしなくなった
最初に免許を取ったのが大学に入ってすぐ。入学式直後に自動車学校に通い始め、夏休み前には既に運転免許を取っていました。車自体は小さい頃から好きで、何故か最初に覚えたのは「ポルシェ」。当時住んでいたのは兵庫県西宮市の団地。1960年代なかばのことで巷には車はそれなりに多く走っていたはずです。でもポルシェなんてめったに見ることなどなかった時代で、多分自動車図鑑か何かで覚えたんだと思います。とは言え、西宮から芦屋の山の手の一角には昔から「かなり」裕福な皆さんがお住まいだった場所もあり、おそらく父親が運転するマツダキャロルの後席から外を眺めていると時々見つけては「ポルシェ!ポルシェ!」と騒いでいたようです。
ただし、どこまで正しく見分けていたのかは謎ですが。
最初は父親が乗り継ぐ車の歴史が自分の車遍歴な時代
大学の頃は父親の車を「ガソリン代は自分で払う」という条件で乗り回していてました。父親は16歳になった昭和20年代なかばにオート三輪の免許を取った人で、以来いろんな車に乗っていたようなのですが、たとえば私が小学生半ばの頃にはマツダのキャロルという軽四に乗ってました。何故かエアコンがついてましたが、これを作動させると六甲山を登れないし、高速道路の自車の前方は常に車が居ない(全ての車が追い越してあっという間に視界から消えていく)という、昭和40年ころの素敵なモータリゼーションの渦の中を走っていたようです。
ただ、どうやらトヨタを中心に直列6気筒が大好きだったようで、私が免許を取った頃は勤務先の社用車流れで既に10万キロくらい走ってたクラウンとかセドリックを二束三文で引き取ってきては1年くらい乗るみたいのを繰り返していました。
トランスミッションがズルズルのクラウンはアクセルを床まで踏むとゆたゆたと加速しつつもガソリンタンクのメーターがすっと下って計算すると有鉛ハイオクでリッター3キロしか走れないとか、別のクラウンはハンドルを切るとまずエンジンがグラッと傾いてから向きを変える感覚がよくわかったとか、セドリックやローレルはマニュアルだったのですがアクセルもシフトレバーもブレーキもフガフガしてて走ってる感覚が殆ど無いとか、まぁ楽しい車生活だったのをよく覚えています。
そして最初に買った自分の車は何故かシトロエン
記憶が正しければ1993年です。そのちょっと前、1987年に実はフランスに海外出張に行って、向こうでさんざんタクシーで乗ったのがシトロエンのBXとメルセデスのEシリーズ。メルセデスは欧州ではタクシーで大量に使われていたのですが、毎朝ホテルから出張先に向かう時間が殆ど同じだったので同じドライバーさんの、それもシトロエンBXに乗ることが多かったんです。
いや、知ってましたよ。シトロエンという車がフランスにあること自体は。でも日本でもそれほど目にしないし、運転したことある人には一度も会ったことはありませんでした。でも向こうで何度も乗ってて「なんだこれ不思議な車だなぁ」というのは本当に思いました。何しろハンドルを切って交差点を曲がろうとすると、多くの車は車体の外側が沈んで曲がっていく感覚だったのがシトロエンのBX(というか足回りにバネが無いハイドロニューマチックという油と空気のサスペンション)だとむしろ内側のサスペンションが伸びて爪先立って曲がっていくような感覚。まぁこれは不思議だけで済んだんですが、フランス語を全く解さないのに3週間以上もフランスに行っていろんなことがあって、日本にいる妻にコレクトコール(死語ですね)で電話したときに「俺、フランス嫌いかも」とか言ったりしてたんですが、それから5年したらフランスの車を買ってしまいました。
もちろんそこに至るまでにはちょっとした個人的なドラマはあったんですが、それから7年ほど乗り続けることになりました。
その後更に2台のドイツ車を乗り継いで、でも2022年に運転を事実上やめてしまいました
ディーラー網が崩壊したのでシトロエンに乗り続けるのを諦め、ちょうどその時期にご縁があったおかげでその後20年以上にわたりBMWを2台乗り継いだのですが、2022年の春先に手放しました。
最大の問題はその時点で勤務先を定年退職となり嘱託で勤務し続けることを決めたは良いけど収入が激減するのが見えていたことで、とてもじゃないけど車検とかガソリン代とか含めたトータルの維持費なんて逆立ちしても出てこないのが見えていました。
ただ、既に子どもも大きくなって車が無いと困ることが減っていましたし、済んでいる場所のお陰でバス便はそこそこあるし、最寄りの駅からタクシーで2メーターくらいで着いてしまう。
荷物が多ければタクシーでいいじゃん。
ただ、実はその他にもっと大きな問題があって、その頃は既に長時間の運転がかなりキツイのが自分でわかっていました。一番のトリガーは2019年に顔の左側が顔面神経麻痺になってしまい、その後徐々に回復してはいましたが2回も手術したりして体力がかなり落ちていたんですね。ただ、仕事の現場ではテンション上がるんで完徹でゴリゴリ作業するとかは大丈夫だったんですが、その後の移動がもう起きていられない。それが普段の車での移動でも同じように起きていられなくなる状況が起き始めていて、流石にもう移動手段は人に任せたほうが良いと思ったんです。
自爆するなら構わんけど、他人様にご迷惑をかけるならやめたほうが良いなという判断。
ということで、車を手放してしまいました。
じゃぁ免許も返上すれば?論について
実はまだ運転免許自体は持っています。下の子が最近やっと免許を取ったので練習ということで助手席に座って手に汗握るとかの状況もあったりするので、いざというときのために当面は持っておこうという思いなんですよ... という説明を自分で自分にしていますが「それはもう関係ないから手放せ」と言われる典型的なパターンの一つだということは百も承知です。
ただ、実際には車庫入れで1度か2度代わったことがあるくらいで、自分でハンドル握る事は殆どなくなりました。もう実際運転することは無いとは思うので、じゃぁとっとと免許なんて手放せよという話は当然です。流石にそろそろ考えなきゃなとは思ってますけど。
ちなみに早晩車なんて自分で運転する必要がなくなったり空を飛んだりする世界になるよ説が巷を飛び交っている今日このごろですが、果たしてそんな頃まで自分が活きてるかどうか。正直そちらのほうが心配だったりします。
まぁもともと人生百年なんてクソ喰らえ長生きして何が愉しいんだよ長生きする気なんかねぇよ早く次に行きたいんだよという人ではあるんですが、